落語
桂吉朝七回忌追善落語会
11月25日夜、国立文楽劇場で七回忌の追善落語会が開催されましたので、行って参じました。
吉朝という人は落語家である一方で多彩な「芸才」を持った「アーティスト」でもあったと、小生は理解しています。
その多彩な「才」の結晶が、吉朝落語の本領と言うか魅力だったと、今さらながらに思うのであります。
最近は、「Youtube」などで誰もが過去の映像を簡単に見ることもできますし、小生の手元にも落語はもちろん、今は途絶えてしまった「三曲万歳」で鷺坂伴内を軽妙に演ずる師の映像が残っていたりもします。
それらを見たり聞いたりして、あくまでも「記録」ではありますが、吉朝という人の「芸才」に触れて生前を思い出すのです。
また、師が遺された7人の弟子たちの高座を見て、それぞれにいい具合に伝わった「遺伝子」を確認したりもするわけです。
<ネタ帳>
1. 商売根問……桂佐ん吉
2.明石飛脚……桂しん吉
3.芝居道楽……桂よね吉
4.不動坊……桂吉弥
5.鹿政談……桂あさ吉
中入り
6.一門挨拶
7.質屋蔵……桂吉朝 *映像
高座に上がった5人は、少な目の持ち時間ながら、随所に師匠の「遺伝子」を感じさせる高座をやっていました。
でも、何よりも小生が胸いっぱいになったのは、黒紋付の7人が並んでの一門挨拶でした。
筆頭弟子あさ吉くんの挨拶には、思わず涙がこぼれました。
吉朝師は6年前の10月27日、場所も同じ文楽劇場での「米朝・吉朝の会」で最期の高座「弱法師」を演じました。
「直前まで酸素吸入マスクをして車椅子で運ばれて、40分以上演じきって舞台袖からまた車椅子で運ばれました。我々にはこの舞台が最後の稽古でした。…… 自分たちだけで追善興行をという話に米朝事務所は不安に思ったようですが、このように満席になり、大変ありがたく思います。今後も一門それぞれ頑張ってまいります」
あさ吉くんという人は、普段はなんかこう、すっとぼけた雰囲気でいかにも「長男坊」というマイペースな印象でして、長男の小生はすごく親近感を持っておりますが、この日の挨拶は普段と打って変わって(ゴメン!)、「さすが、長男!」という立派な、そして観客の胸を打つものでした。
弟子っ子たちは皆、非常に若くして師匠を亡くしてしまったわけですが、結束固く吉朝一門として、こうして自分たちだけで七回忌の追善落語会を開催できたのも、もしかしたらあさ吉くんのこのキャラクターあってのことかもしれませんね。
舞台暗転して、吉朝師の出囃子がナマで鳴り出して、そのまますんなり映像の出囃子にオーバーラップしていったのかな??? その辺、最近、聴力がすこぶる落ちてしまってよくわからんかったけど…。悲しい…。
映像がフルワイドではなく、アナログ時代の正方形っぽいところに、6年の歳月を感じてはしまいますが、始まってみればそんな細かいことはすっかり忘れて、引き込まれてゆきました。要するに、「しゅっとした落語」と言いますかね。高座姿がきれいやし。
なかなかいないんですよな、しゅっとした噺をする人が。ねちゃこい人は山ほどいてるし、ねちゃこくもなく、しゅっとしてもない人なんて、掃いて捨てるほどいますね。
ねちゃこいのはねちゃこいので悪いことは全然ないんですけど、ねちゃこいのが続くと、やっぱり胃痙攣起こしますわな料理でも。
落語もそうでして、ねちゃこい中にしゅっとした人が出てくると、胃がもたれません。でも登場する人物は、そこはもう、ちゃんと十分すぎるくらいねちゃこいんです。その妙味というか、匙加減が吉朝落語のおかしみの一つかななんて、小生は感じていました。
そんなこんなを思い出したりしながら、あっという間に約40分の「質屋蔵」が終わり、万雷の拍手の中、追善落語会もお開きとなりました。
ロビーには7人の弟子たちが並んでお客をお見送り。
このたび、めでたく大阪市の「咲くやこの花賞」に輝いた吉坊くんにおめでとうの言葉をかけ、固く握手。
他の6人も、繁昌亭大賞「奨励賞」を受賞したよね吉くんをはじめ、あさ吉くん以下、ほんとうにこの会を弟子っ子だけで開催して良かったという安堵感と達成感に満ちた、イイ笑顔でお客を見送っていました。小生も、いい会に来れてよかったと思いました。
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以下、無用のことながら。
世の中、大阪府知事・大阪市長選挙一色で、吉坊くんの受賞を報じたメディアをまだ目にしていません。残念なことです。もし、大阪都構想を提唱する人が市長になったら、こういう事業の存続も危ぶまれます。それを案じて、プレスにリリースしてないなんてことは、よもやあり得ないと思いますが、万に一つそうだとしたら、大変嘆かわしいことです。大阪市のサイトではすでに公表されてるのにおかしいやんなぁ…。
(平成23年11月25日 日本橋国立文楽劇場)
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。
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