福岡ソフトバンクホークスの2010年パシフィック・リーグ優勝祝賀会を兼ねた、福岡ソフトバンクホークス関西応援会の総会へ行ってきました。約80名が参加。
ホークスを応援する組織は、全国各地に多数ありますが、「関西応援会」は1957年発足の最古のホークス応援組織だそうで。
と、言いながら、敷居は高くなく「入ります~」と言えばすんなり入会できますので、関西地区のホークスファンは、どしどしご入会を。
ただし、歴史が古いだけに、南海色が非常に色濃いですよ。
と、ほとんど幽霊会員の小生が入会を勧誘したところで何の説得力もないんですけどね。
ゲストが多彩でした。
OBでは河埜敬幸氏、山田勉氏、竹岡和宏氏。
芸界からは、落語家の立花家千橘師匠、関西のラジオでおなじみ諸口あきら兄ぃ、大ヒット曲『南海ファンやもん』のアンタッチャブルで活躍した野本有琉さん。
そう、諸兄ぃと言えば、我々世代はMBS『ヤングタウン』、『三菱ダイヤモンドハイウェイ』、『イブニングレーダー』。とくに、『イブニングレーダー』は夕方の辛口コメントがよかったし、その流れで『Go!Go!ホークス』のオープニングに入ってゆく…。まさに南海ファンのための「ゴールデンタイム」。
スペシャルな来賓としては、故杉浦忠監督と故皆川睦雄投手のご夫人も。
例年は球団関係者やサプライズで選手の参加もあるのですが、今年は翌日から優勝旅行で皆さん、ハワイへ行くので球団からの参加はなし。それでもラッキードロー用の賞品は多数提供されてました。
小生のテーブルは、かなり濃いメンバーでした。
それぞれにお顔は何十年も前から存じております。あちらさんもそう思ってられたでしょう…。
杉浦夫人や皆川夫人の上品ながらも大阪の古き良きおばちゃん的おしゃべりもいいし、このテーブルのおっちゃんたちの、大阪市南部~泉州あたりの「やたけた」なおしゃべりもまた楽しい。
思えば、大阪球場はこういう「やたけた」な大阪弁が充満していたわけで、そういう意味では、大阪球場の特別指定席にいる気分になれます。心地いよい事この上なし。
で、あなどれないのは、こういうおっちゃんたち、決して「オールドファン」で歩みを止めてはないということ。今のホークスについても非常によく知ってられます。
そりゃそうですよね、ひたすら「南海」にこだわっているのであれば、今さら応援会に入って球場へ足を運び、選手に「ナマ声」で檄飛ばしたりしませんよね。
ホークスに生きる我々にとっては、しんみりするシーンもいくつかありました。
まず、挨拶に立った河埜選手からは、「難波のあぶさんや球場で大阪のファンの皆さんの熱い思いに接し、球団へ行くたびになんとか大阪の皆さんが一塁側からホークスが応援できるよう、関西での主催試合をやってもらいたいと提案している。ダイエーやソフトバンクにもお世話になったが、僕はやっぱり南海の選手ですから!」との旨。
もう、これは長年の夢であります。河埜さん、なんてすばらしいことを球団に提案してくれてるんだ!
いつかホンマに実現してほしい!一塁側~ライトスタンドに関西のホークスファンが陣取り、ホークスナインが「南海復刻ユニフォーム」で試合する。。。1日だけでもいい、ぜひともお願いします!!
ホームのヤフードームよりも熱いと自負する関西の鷹ファンの思いを届けてください!お願いします!!
そして何と言っても野本兄ぃの弾き語りによる『南海ファンやもん』。
この歌が出たとき、小生は大学生。たしかその年(昭和60年)に阪神が優勝。苦々しい思いで道頓堀に飛び込むアホどもを見ていた。「ミナミは南海の縄張りなんやけど…」。そんなつらい思い出がよみがえってくる…。
パーティーの最後は、レフトスタンドからトランペット応援でがんばるメンバーによる『いざゆけ若鷹軍団』と『南海ホークスの歌』の演奏そして我々の合唱。今日は大丈夫だろうと思っていたが、どうしても『南海ホークスの歌』になると、涙があふれてしまう。
宴が終わってから、皆川夫人にご挨拶。
杉浦と並ぶ南海ホークスの大エース・皆川投手は、かつて、我が家のご近所にお住まいだったのだ。●●町●丁目まで同じ。うれしいな、最後の30勝投手と同じ町会だったなんて。
やっぱり南海ホークスは素晴らしい。福岡ソフトバンクホークスもちょっとはいいけど(笑)。「だって俺、南海ファンやもん~」。
ソフトバンク球団は大阪をはじめ、ビジターで熱い思いで応援する人達がいることを忘れないでいてほしい。
『南海ファンやもん』 アンタッチャブル
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。