秋の文楽公演も11月21日に千秋楽。
千秋楽を前に第一部の公演を見てきました。ふと前を見れば落語の桂雀松師匠が。
第120回=錦秋文楽公演
国立文楽劇場
『嬢景清八嶋日記』(むすめかげきよやしまにっき)
<花菱屋の段、日向嶋の段>
今公演は、一部も二部も「時代物」と「世話物」の2本立て。
まずは、時代物で景清の物語。
花菱屋の段、駿河は手越宿の廓、花菱屋の女房のやかましいしゃべりで幕が開く。ここを語る千歳大夫、客席の笑いも誘いながら無難にこなしているかのようでしたが、もっともっと憎たらしさが欲しかったな。それによって、花菱屋長の人柄の良さ、糸滝の不幸話がもっと引き立ったかと。
日向嶋。咲さん、燕三のコンビが景清の孤高と娘・糸滝への親の愛をしっかり聴かせて胸を打つ。
糸滝を遣う清十郎ははまり役と言うべき動きを見せ、景清の玉女も景清の心の移ろいを見事に遣い、名コンビ。
景清は特殊な首(かしら)の「景清」が使用される。記憶が正しければ、昔のパンフレットには公演で使用される首の写真紹介があったと思うが、こういうものはきちんと紹介しておいてほしい。
ところで、景清がよりどころとして守る平重盛の位牌。平重盛と言えば、地元の名刹・法楽寺の創建者。今回、はたと気付いた。景清は何度か見ているはずなのに、今頃気付くなんて、いかに今までぼ~っと見てたかということやね。
それにしてもこんなところで景清さんと地元の法楽寺に平家つながりがあるとは…。世の中広いようで狭い(笑)。
『近頃河原の達引』(ちかごろかわらのたてひき)
<四条河原の段、堀川猿廻しの段>
そしてこちらは世話物。
四条河原で井筒屋伝兵衛(勘十郎)が横淵官左衛門を殺害する場面、上方唄『ぐち』のメリヤスが緊張感を高める。三味線の独壇場は宗助の独壇場でもあり、なかなかに緊迫した雰囲気を伝えていたかと。
目の不自由な母と遊女であった妹のおしゅん(簑助)を猿回しで養う与次郎。殺人を犯した伝兵衛を慕うおしゅんを思いとどまらせたい母と兄の思い、三人の思いを住さんと錦糸が切々と訴えて来る好演。親の子を思う情、兄が妹を思う情、女が男を思う情…。まさに情のめくるめく世界。これが文楽。
後を語る津駒大夫は完璧な響きの寛治に引っ張られる感がしないでもなかったが、進むにつれておしゅんと伝兵衛の旅立ちを許す母と兄の情感を熱演。
妹の門出を祝う与次郎の猿回し芸。寛治は孫の寛太郎とのコンビでノリよく奏でて、勘壽の打つ鞭や猿を回す縄の動きもピタリ。さらには二匹の猿もコミカルに動く。その動きゆえに余計に、兄の妹への思いが伝わる。
興ざめだったのは中央席に陣取った約20名の外人団体客。
再三の注意を受けていたが写真やビデオの撮影。
あれの何がいけないかというと、最近のカメラはモニターが大きくて鮮やかなんで、後ろの席からはすごく目ざわりになる。
その度に気が散ってしまう。この日は住大夫さんの場面で何度かあったのだけど、入場前に徹底してほしい。
さて、新春公演は1月3日初日。
すでに各メディアで報道されていますが、人形の吉田清三郎が三代目吉田文昇を襲名することに。
研修4期生。歌舞伎と違い、血統や門閥にこだわらない完全実力主義の文楽は、こうして研修生から下積みを重ねて大きな名跡を手にするチャンスがある。その一方で、大変な競争の世界でもあり、文楽から去ってゆく若者も少なくはない厳しさも。
そんなあんなを見てきているだけに、来年もまた、若い技芸員の人達を応援してゆきたいと思っています。
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。