【なつやすみどくしょかんそうぶん】『鱧の皮』上司小剣*旧ブログ

なつやすみどくしょかんそうぶん
『鱧の皮』上司小剣を読んで
四年一組 レスリー・よし
 ぼくは、上司小剣の『鱧の皮』を読みました。
 それは、まず、ぼくが鱧の皮の酢の物が大好物だからです。むかしは、商店街のかまぼこ屋さんとか魚屋さんでめちゃ安い値段で買えましたが、今は、ほとんど売ってないそうです。この夏休みも、おかあさんが
「なんか食べたいもんあるかあ?」
って聞いたから、ぼくは
「鱧の皮の二杯酢のやつ!」
って言ったのですが、
「今日び、鱧の皮なんてそこらで売ってないでえ、あほちゃ~う」
って言われました。
 なぜ大阪のおばちゃんらは、最後に「あほちゃ~う?」とか「あんたあほか?」って言うのでしょうか?めっちゃむかつきます。遠く香港から帰って来てるのに「あほちゃ~う」って言われると、とても悲しいです。
 そしてぼくは、こんど近鉄ひゃっかてんに鱧の皮をひとりでさがしに行くことにしました。おかあさんにはまだ言うてません。なぜなら、また「あほちゃ~う」と言われるからです。

 本の感想文ですが、ぼくはこう思いました。
 この作品が書かれた頃の大阪・道頓堀かいわいのにぎわいぶりがよくわかります。そして、むかしながらの大阪弁はこういうかんじなんかなあ、というのもよくわかりました。
 ふつうは、戦前の大阪弁をよく伝える作品として、織田作之助の『夫婦善哉』があげられますが、ぼくはどちらも読んでみて、いま読んだ『鱧の皮』のほうが、ずっとすんなり気持ちに伝わる大阪弁やったと思っています。

 この本は、じつは、岩波文庫で復刻されました。ぼくはずっとむかし、20年ほど前に一回読んでました。それは、予備校の国語の先生が田山花袋について教えてくれたときに、その花袋から絶賛された大阪モノの作品があります、と言ってこの作品を教えてくれたのです。すぐに買いに行きました。
 今回、1952年の初刷から数えて第4刷が岩波文庫から発行されたので、また買ってしまいました。昔の本ですから、ほんとうに字が小さくて文字もびっしり詰まっていて、老眼のぼくにはとてもきつかったです。

 本は『鱧の皮』以外に、『ごりがん』『父の婚禮』『兵隊の宿』『太政官』の全5編の短編集となっていますが、どれも旧仮名遣いで、そのころのぼくにはちょっとむつかしかったです。
 でも、『鱧の皮』に出てくる、放蕩三昧の婿養子が放蕩先の東京からよこした無心の手紙に「鱧の皮を御送り下されたく候」ということを書いて、鱧の皮をほしがるなんて、やっぱり大阪の人やなあと、放蕩しているやつなのに、かわらしく思い、強く心に残りました。
 こういうかわいらしい「あかんたれ」な男は、むかしから大阪を舞台にした物語によく出てきます。
 そして対極にあるのが、婿養子の奥さんであるお文のしっかり度とさっぱり度。そこに大阪らしい「情」を感じます。そういうのが土台にあるのが「上方文学」で、浄瑠璃もそのひとつではないでしょうか。
 『鱧の皮』は、すごい短編で、ストーリにたいして起伏がないので、むつかしいとおもいますが、ぼくはこの小説も、人形浄瑠璃にしたらいいと思います。そんなことを考えながら、ところどころを義太夫風に声に出して読んでみたりもしました。

 思い起こせば、両親にすごく心配やめいわくをかけているぼくは、たまに帰ってきたら、「鱧の皮が食べたい」とか「生活しんどいわ」ばかり言ってますから、この婿養子の放蕩が他人事には思えません。
 それにしても、鱧の皮の二杯酢のやつが食べたいです。きゅうりもみにして食べると、ほかにおかずはいりません。よく冷やした冷酒もあいしょうがいいですよ。メーンディッシュはもちろん、湯引きと照り焼きです。大阪の夏はこんなかんじで鱧づくしでなければいけないと、ぼくは思いました。


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