昨晩、福岡ソフトバンクホークスの08年ホーム最終戦が、九州朝日放送のネット配信で、世界中にその映像が生中継されましたので、試合開始から王監督胴上げまで、ずっと見てましたぁ!
ホーム最終戦、そして王監督の本拠での最後の指揮。
判で押したような9月の試合運び…。普通、こういう場合、どんなに泥沼に陥っているチームでも勝つもんなんだがなぁ、不思議だなぁ、勝てないね。
王監督の就任は自分の香港生活のスタートと同じ1995年。
弱っちいかった当時の福岡ダイエーホークス。
南海ホークス終末期となにも変わっていなかった。
そんなチームを「世界の王」がどう変えるのか?
いや、単なる客寄せだ、という人もいた。
ボクは香港生活に突入したばかりで、野球どころじゃなかった。
今みたいにネットが普及していたわけでなく、夕刻に配達される「サンスポ」がボクと日本をつなぐ貴重なメディアだった。
歯がゆい試合結果が紙面の片隅にあった。
いまや、ネットで生中継を見れるのだから、えらい時代だよ。
わけあって失業中だった99年。
ホークス優勝。26年ぶり。
シリーズの優勝、すなわち日本一は35年ぶり。
福岡移転後としてはもちろん初めて。
海外でプ~タロウという心細い折に、勇気付けられた。
自分の体に明らかな不安因子が見つかった03年。
それはまた、あるいはSARS禍の年。
福岡で三たび優勝。
そして関西球界のファシスト・阪神下して日本一。
溜飲が下がるとはこのことだ。
今年。
勤務先の香港業務撤収。
とりあえず起業、でも先行きには「?」。
そして、王監督は退任。
夕べは試合を追いながら、自分の香港での14年も追っていた。
試合運び同様、「わりとしょぼい俺様の14年?」とか…。
最後のセレモニーは泣いていた。
なぜだろう?
「巨人の王」というわだかまりが、ずっと心のどこかにあったし、今もその気持ちにはまったく変わりは無いのに。
自分の香港14年間と合わせ見ていたからなのか?
ファンとはとかくそういうもので、こじつけと言われればそうなのだけど、チームとともにありたいという気持ちの表れなんだろう。
もしかしたら、今年がボクの香港生活の何らかの節目になるかもしれない。
けど、王監督が言うように
「幸福な14年間でした」
と言える香港生活かどうか…。
さて、この偉大ではあるが、時に「不可思議な采配」もあった監督が去った後。
選手・コーチ陣はもちろん、ボクたちファンも
来季はこのセレモニーにペナントを持ち帰るよう奮起せねば
そしてクライマックスシリーズ、日本シリーズを勝ち抜き
「名門ホークス」「常勝ホークス」を謳歌したい。
勝負事、感傷に浸って泣いてばかりじゃいけません。
勝って涙を流そうぜ!
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COMMENT:
AUTHOR: ゆうぞう
DATE: 09/25/2008 20:48:13
という、ことはボクの原稿読んでいてくれたのですね。
つたない原稿ですいません。鷹番時代はサイド原稿を
ほとんど書いた記憶がございません。
小久保がホームラン王を確定させた試合の原稿が
いわゆる、試合サイド原稿なんですが
そりゃひどいデキだったようで
デスクから「お前、ややこしい原稿書きすぎてサイド原稿の書き方忘れたんとちゃうか」と、怒られました。忘れたというよりプロ野球のサイド原稿の書き方よく分かってなかったような。
後に虎番になると負け試合でも山のような試合サイド原稿を書いたので担当球団の順番が後先だったらよかったのに、と思いました。
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COMMENT:
AUTHOR: leslieyoshi
DATE: 09/25/2008 22:01:30
To ゆうぞうさん
>という、ことはボクの原稿読んでいてくれたのですね。
そいうことですね。
>小久保がホームラン王を確定させた試合の原稿が
>いわゆる、試合サイド原稿なんですが
サイド原稿ってやっぱり人気球団や優勝争い球団のものでしょ?
大阪サンスポで当時のダイエーではねぇ(笑)
それでも南海の後継ということで、多少の情は感じましたが。
オリックスをもっと書いてやってください。
清原じゃなく、オリックスを!
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。