【台湾紀行】その3

♪頭を雲の上に出しぃ~
……富士は日本一の山♪

台北のMRT(地下鉄)西門駅構内に張り出されていた「にほんの歌合唱コンサート」のポスターを見て、ガイドのCさん(70歳)が唄いだしました。

「最近の日本人は知らないでしょうね、この歌を」

う~ん、どうなんでしょうね? 少なくとも我々世代(40歳代半ば)は、小学校で習ってますけど。

Cさんは続けます。
私たちはこの歌を習ったとき、『日本一高い富士山を称えるのと同時に、富士山のように気高く生きてゆきなさい』と言われました
一同、「おお、すばらしいですね!」(感心してる場合か(笑))
最近の日本、気高さがなくなりましたね、淋しい限りです」とCさん。返す言葉もありません。

Cさんは旅程中、日本時代の台湾の話を色々と織り交ぜて、ガイドをしてくれました。あるいは「ここはナントカ国民学校、日本人が通ってました」「ここはナントカ女学校、いまは役所になってます」などなど。

そのお話の中で、何度も戦前の皇族方のお名前が出てきました。
同行者の一人が「台湾の人に日本の歴史を教わるなんて、恥ずかしい話しですね。なんだったんでしょう?我々が受けてきた歴史教育って?
と話してましたが、まさにその通りだと思います。

皇族方のお名前をお一人お一人覚える、というのではなく、戦前の台湾統治のこと、そこにかかわった日本人のこと、全くといっていいほど教わっていない…。もちろん朝鮮のことも。明らかに日本の一部だったにもかかわらず。

思えば高校の日本史なんて、戦前・戦中についてはシナ事変、真珠湾、レイテ海戦、終戦くらいを2~3時間、おまけで「労働組合の作り方」なんてのでわずかしかない3年の3学期をやり過ごされましたから、台湾のことなんてほとんど何もわかりません。

以前より、台湾のお年寄りには「今の日本はなっとらん!」とか「我々は修身を教えられたことを感謝している」など聞かされています。もちろん、日本に良い印象を抱いていない人もいっぱいいるでしょう。その双方の話をいっぱい聞きたい、その時間もそう多くはありません。日本の教育現場で教えてもらえない日本史が、この方々の話の中に山ほどあると思います。日本統治時代の台湾の話、もっといっぱい聞きたいですね。よかったことも悪かったことも。

総統府の建物が当時のまま使われているのは有名ですが、それ以外にも古めかしい建物はほぼすべてと言っていいくらい、当時のまま使われています。それについてCさんは、

なんだか朝鮮では日本時代のはダメだって言って壊したりしてるようですが、台湾人は、そういうこだわりはありません。よければ自分たちのものとして受け入れていく柔軟さを持っていますから。朝鮮はそういう気持ちがないようですな

そうかそうか…。
なぜに台湾の居心地がよいか、と言えば、そういうことなのか…。
改めて、日本と日本人が大事に付き合ってゆかねばならない国だと認識した旅でした。

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古い市場が「紅楼劇場」として再利用されている
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国父史蹟紀念館と逸仙公園。孫文の愛用品などが展示されています

日本語看板1
「超人気日系美粧の店」??「ランキン」って???

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日本語看板2
「処女かにシーフード」って、一体???

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COMMENT:
AUTHOR: 丸山光三
DATE: 11/15/2007 00:41:19
そのCさんの言葉のインスパイア、蔡焜燦さんの『台湾と日本精神』の読後感と同じです。
「処女かにシーフード」、妖しき美味さが匂う看板です、うふ、ふふ。
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COMMENT:
AUTHOR: leslieyoshi
DATE: 11/17/2007 00:34:05
To マルコおいちゃんさん
そしていま、その気高さを失った日本におります。
なんだか忙しく飛び回っている日々です。



 


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