香港返還10周年を振り返るシリーズもいよいよ大詰め。
【1997年6月28日】
◇前日から徹夜で開かれていた立法評議会が 最後の議題「英国政府への送辞と香港特別行政区の繁栄と安定を祝福」決議案 を可決して終了。返還後の暫定議会「臨時立法会」へ参加できない民主派議員らは「民主万歳、98年に再会を」と叫びながら退場
◇英国チャールズ皇太子ら返還式典出席の英代表団到着。クック外相は「人民解放軍の駐留規模は必要以上で不適当だ」と指摘、新華社の朱育誠副社長は「解放軍は『人民子飼の兵士なので親兄弟である人民を守ることしか知らない」と反撃
【6月29日】
◇1998年の第1回立法会選挙について、初代行政長官・董建華(C.H.トン)氏は「5月までに実施する予定」と語る
◇チャールズ皇太子出席のもと、英領最後の勲章授与式。215人が受勲
◇反対臨時立法会大連盟が中国政府への自由、人権、民主の返還を要求し、湾仔(Wanchai)埠頭のデモ許可エリア内で座り込み開始
◇中文大学世論調査;
・返還を歓迎…56.5%
・返還に特別な感情を抱いていない…79.3%
【6月30日】
◇総督府で夕刻、告別式。パッテン総督が総督府を後にする
総督府から降ろされるユニオンジャックやっぱりしんみりしましたね、この瞬間は(1997年6月30日夕刻)
英国国旗降納。奥の方、警備の警察官も写真撮ってます(1997年6月30日夕刻)
◇返還式典会場に爆弾を仕掛けたとのいたずら脅迫電話
◇民主党が中環(Central)の皇后像広場で「民主返還集会」。天安門事件抗議を続ける「香港市民支援愛国民主運動聯合会=支連会」は返還式典会場のコンベンション&エキシビションセンター近辺で中国政府への抗議デモ。五星紅旗を焼いたり「李鵬下台=李鵬は辞めろ!」など叫ぶ
◇尖閣抗議団体「保釣行動委員会」、ビクトリアハーバーで海上デモ。「まだ中国に返還されていない領土がある!」
◇台湾政府発行の「華僑身分証」の申請最終日。実質上の台湾出先機関「華僑旅行社」へ3500人が殺到
◇添馬艦基地で英国撤退式典
◇午後11時30分からコンベンション&エキシビションセンターで主権移譲式典始まる
ここからは返還迫ったころの自分自身の動向を綴ります
■たしか6月29日は「最後の」エリザベス女王誕生日で祝日だったはず。この日くらいから2週間ほど連日の豪雨となります。新聞の見出しにはもってこいの「涙雨」(爆笑!
■なんだかんだ言っても、6月30日はやはり感慨深いものがありました。テレビでは朝から間断なく返還関連のニュース。ようやく前日になって香港自体も「返還」気分が出てきました。
■小生がもっとも驚いたのは、朝起きてアパートの外に出た瞬間。街全体に数え切れない五星紅旗が!
実はこの町、それまでは中華民国建国記念の双十節(10月10日)には青天白日満地紅旗で埋め尽くされていたのです。それがアンタ、急に五星紅旗とは…。この掌を返したような変幻自在の世渡り術というか…。呆れるやら尊敬するやら。
■30日は午後からカメラ片手に外に出ずっぱり。
返還式典会場のコンベンション&エキシビションセンター付近へ行くと、支連会の過激派メンバーと警察が一触即発のにらみ合い。
■その足で英国撤退式典会場となる添馬艦基地(タマール基地)付近へ。英軍総司令部を近くの歩道橋から覗き見れば、土砂降りの中、プールでくつろぐ英国兵(?)。そしてその先には、パッテン総督らが離港の際に乗り込む「ブリタニア号」が停泊。なんとかその威容を撮影したかったが、ガードが固く(当たり前か)、接近できず。
■雨脚さらに強まり、一旦帰宅。
■テレビで英国撤退式典や「さよなら花火大会」を見て、再び外出。
■尖沙咀(Tsim Sha Tsui)に到着。豪雨の中、すごい人出。すでにメーンストリートのネーザンロードは歩行者天国となり人がびっしり。それを掻き分けて文化中心(Cultural Centre)のTVB(無線電視)の「返還記念オールスター歌の祭典」へ。TVB専属契約のスター歌手勢ぞろい。「四大天王」の張學友(ジャッキー・チュン)、劉德華(アンディ・ラウ)、黎明(リオン・ライ)、郭富城(アーロン・クォック)をはじめ、当時一番の売れっ子だった王菲(フェイ・ウォン)、陳慧琳(ケリー・チャン)らキラ星のごとく。これだけのメンバーを「タダ」で見られて、写真も写し放題。「ある筋」から入手した「記者証」が威力発揮。
■番組は生中継と収録を交互に繰り返し、午後11時20分ごろにはなんと「返還カウントダウン」がステージ上で始まる。ステージでは午後11時半には「香港特別行政区成立」(笑)
■ホンモノのカウントダウンはこれから。会場を急ぎ足で出ると、文化中心周辺は人、人、人で立錐の余地がない。同行の友人となんとかビクトリアハーバー沿いのプロムナードへ。正面には、いままさに「返還式典」が行われている。その脇では「ブリタニア号」が静かに「そのときを」待っている。
■時計の針は午後11時50分。気の早いカウントダウンがあっちで、こっちで五月雨式に始まる。「ワー、ワー」と言う歓声が次第に大きくなってゆく。友人と顔を見合わせ「一体、どれがホンマのカウントダウンや?」
■勝手なカウントダウンはさらに増大し、一方で押し合いへし合い状態。おそらく、その場にいた何十万という人間は極度の興奮状態にあったと思われる。我々もその興奮が感染して一緒に叫んでいる。
■何度目かのカウントダウン…。「さあ、あと何分かな?」。一瞬冷静さを取り戻し腕時計を見た瞬間、小生、一言
「ウソやッ!」
なんと、腕時計は1997年7月1日午前零時10分を指していたのでした…。
落語ですな、これ。「わーわーと言うておりますうちに、こんなアホが…」って、アレです。
こうして小生はアホみたいに「わーわー」って騒いでるうちに、「その瞬間」をまたいでいたのでした…。
「香港返還」、実にあっけない!
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COMMENT:
AUTHOR: 丸山光三
DATE: 07/01/2007 06:13:29
ベルリンの壁が開いたのも実は検問所職員の手違いだったとか。歴史的瞬間とはそんなものかもしれません。
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COMMENT:
AUTHOR: leslieyoshi
DATE: 07/01/2007 23:34:31
To マルコおいちゃんさん
>ベルリンの壁が開いたのも実は検問所職員の手違いだったとか。歴史的瞬間とはそんなものかもしれません。
「瞬間」に結構期待していたのですが…。まあ、そんなもんですね。
「せっかくの5連休だから海外旅行に行って、リゾートでゆっくり返還見物します!」って旅立っていった多くの香港人の行動が正解でした。
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。
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