【1997年6月5日】
◇本土の人権と自由を実現するためのモニュメント「国殤之柱」が、一旦香港大学に移されるも、校舎のテラスに野ざらしに
【6月10日】
◇初代行政長官・董建華(C.H.トン)氏、民主党と会見。董氏は臨時市政評議会や臨時区域市政評議会、臨時区議会の議員になるよう正式要請。98年に予定の第1回立法会選挙への参加も勧める
◇人民入境事務署で特区旅券の申請受付始まる。1日で9万枚以上の申請用紙を配布
【6月11日】
◇中国政府が返還式典及び特区成立式典に出席する代表団主要メンバーを発表。団長に江沢民国家主席(当時)、副団長に李鵬首相(同)。中共政権成立後、本土の最高指導者が香港入りするのは初めて
◇天安門事件の責任追及を続ける「香港市民支援愛国民主運動連合会=支連会」が申請していた7月1日のビクトリアパークでの民主化集会の使用を市政評議会が却下
【6月12日】
◇返還後の暫定議会「臨時立法会」に対する民主党の訴訟を高等裁判所のシアーズ裁判長が「臨時立法会は深圳で開催されており、香港の司法管轄権は及ばない」として棄却。「勝訴する可能性はなく、審理するのは法廷の時間とカネの無駄」とけんもほろろ
◇中央政府が証券取引の監視を強化するとの消息を受け、香港市場ではレッドチップが軒並み下落。一方で政庁の不動産バブル抑制策を恐れる投資家による地場株の売りも相次ぎ、ハンセン指数はマイナス500ポイントでこの年ここまでで最大の下げ幅に
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。