【返還10周年】思い出話(10) *旧ブログ

~続き
【1997年3月12日Vol.2】
天安門事件の責任追及を続ける「香港市民支援愛国民主運動連合会=支連会」による恒例行事「六四(=天安門事件)追悼集会」に対し、市政評議会がビクトリア公園の使用を許可。返還当日に民主党が遮打公園で予定していた「徹夜座り込み集会」は祝賀行事にふさわしくないとのことで否決
◇人民解放軍の先遣部隊などの協議を予定していた中英共同連絡小委員会の専門会議で「英国側が無断欠席したため流会した」と中国側が非難。英国側は「事前に連絡したのにさぁ、それって誤解でしょ?」
◇O-157汚染牛肉について衛生署が「牛を屠殺したときに誤って腸を傷つけたためにクソの中の細菌が肉に付着した」と調査結果を発表

【3月13日】
◇返還後に初代行政長官に就任する董建華(C.H.トン)氏が、返還前に13の条例案を臨時立法会で審議させると表明。その中には国家転覆罪に関する条例も含まれ「台湾や中国の一部の地域で分離独立の声が高まっており、香港でも法的な取締りが必要」と説明

結局、董建華(C.H.トン)氏はこの国家転覆罪云々が原因で、6年後の2003年に50万人デモを引き起こさせてしまい、この発言から8年後の2005年3月10日に「健康上の理由」で辞任。実際は中共による「首切り」に至るのでした。。。
返還後の香港が、台湾はともかくとして、ウイグルやチベットなどの「反乱拠点」になることを中共がどれほど危惧しているかがよくわかります。しかし、董さんもストレートに言っちゃったもんだなと。


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