【上方芸能な日々 歌舞伎】第31回上方歌舞伎会

アイキャッチ:どういう巡り合わせか、このあたりの花道に接した席になることが多い。今回もギリギリにチケット購入した割には、後方ではあるが、花道脇の良席を確保できた。例によって、役者さんの裾を引っ張りたくなる衝動が…(もちろん、しませんよw)。>

歌舞伎
国立文楽劇場歌舞伎俳優既成者研修発表会
第31回上方歌舞伎会

昨年はCOVID-19感染拡大により、中止となった「上方歌舞伎会」。今年も、なかなか感染拡大は収まらず、気が気でないところだが、そんな中でも、文楽の夏休み公演は完走できたし、「文楽夢想~継承伝~」、「素浄瑠璃の会」も開催された。ならば!と、「第31回上方歌舞伎会」も無事に開催されるに至った。よかったよかった。

一方で、この会の前身ともいえる「若鮎の会」以来、長年にわたって、若手育成と上方歌舞伎の継承に尽力されてきた片岡秀太郎丈が5月23日、あちらの世界に旅立たれてしまった。誠に残念である。しょっちゅうロビーでお見受けし、なかなか小生ごときが気安くお声がけできるものでもない歌舞伎界の大看板だが、勇気を出して「今の芝居、すごく面白かったです!」なんてお声がけすると、にっこり笑って「そりゃ、よろしおました!」と答えていただける。とても穏やかな笑顔が印象的な人間国宝であった。

双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)
 引窓

指導=我當、仁左衛門

南与兵衛後に南方十次兵衛 翫政
女房お早 吉太朗
平岡丹平 松四朗
三原伝道 愛治郎
母お幸 當史弥
濡髪長五郎 鳫大

上方の風情の非常に色濃い『双蝶々曲輪日記』。京阪沿線をスタンプラリーするかのように、橋本~八幡と物語が進んでゆく。前半部は大坂の盛り場、堀江、新町、難波などを舞台に話は進み、後半部の京阪沿線で終わるというのが、文楽も歌舞伎ももっぱらの上演パターンだが、最後の最後は河内長野で終わるらしい。それは観たことがないな…。

公演パンフの仁左衛門丈の「ご挨拶」によれば、「引窓」は前回までは、女形を秀太郎、立役を自身が指導してきたが、今回は叶わず…。とあった。挨拶文全体から、兄の死を悲しむ寂しさが伝わってくるものだった。今回は秀太郎に代わって、孝太郎が女形の指導をしたようである。

その女形だが、お早の吉太朗が非常に良かった。観るたびに「なんと、こないに大きなって」と、まるで親戚のおっさんみたいに、その成長に目を細めている小生だが、体つきだけでなく、芸の方も、しっかり着実に成長している。田舎の貧しい家の嫁でありながら、元は遊女という仕草や言葉遣いなんぞをちらつかせながらという、難しそうな役どころだが、配役に十分に応えるものだったと思う。

南与兵衛後に南方十次兵衛は、小生お目当ての翫政が肚の座った演技を見せ、濡髪長五郎の鳫大はダイナミックさと繊細さを上手に見せていた。月代が剃る前にペロンとなったのが、ちょっと残念だったけど。

愛治郎は、上方歌舞伎会に参加するようになって、初めてのセリフのある役で、張り切って臨んだ。ほんのわずかなセリフだが、若手には大いに励みになる。そういう意味でも、この会はとても貴重な勉強の場なのだ。そんな場面に立ち会えるのは、芝居好きの冥利というもんだ。

次の演目が舞踊ものなので、花道に所作台が設置される。この作業を見るのが好き

慣ちょっと七化(みなろうてちょっとななばけ)」より
慣彩舞七以呂波 (まねていろどるななついろは)

上の写真の通り、自分が座ってる席の真横で、花道に所作台が設置されてゆく。昔、これを初めて観たときの感動たるや…。幕間にうろうろせんと席におったら見れますよ(笑)。そんな次第で、『慣彩舞七以呂波』という舞踊もの。『慣ちょっと七化』という七変化の所作事を、今回の公演用にアレンジした長唄舞踊。『慣ちょっと七化』の初演は文化10年(1813)正月、大坂中の芝居。三代目中村歌右衛門による七変化の舞踊。今回は、一人の変化ものではなく、それぞれを別々の役者が演じるので「七以呂波」としたんかな。粋なネーミング。

山村 友五郎=振付
長唄連中

傾城
傾城 千壽
「うわぁぁぁ~!」っと、声は出せない昨今だが、客席の誰もが胸の内で感嘆の声を上げているのがわかるような、豪華絢爛な衣装をまとった千壽の傾城。この人の本領発揮の舞台。しかし、衣裳、重たかったやろなぁ~。踊りは安心と信頼の千壽なんで、衣裳の重さばかり感がてしまった(笑)。

越後獅子
越後獅子 千太郎 愛三郎
「まあ~、かわゆい越後獅子!」と、これまた声なき声があちこちから聞こえてきそうな舞台。感心したのは、一本歯下駄での器用な踊り。よほど運動神経が優れているのか、はたまた、血のにじむようなお稽古をしたのか…。なんでも吸収できる年代。うらやましい(笑)。そのつるんつるんの顔も(笑)。

座頭
座頭 千次郎
コミカルな動きに、観ている側の頬が緩みっぱなしの舞踊。けどちょっとこれ、公共の電波には乗せられないよな(笑)。だからと言って、埋もれさせてはならない芸。こういうのもひっくるめて、伝承するのが大事。そして舞台は、あくまでも明るく楽しくという感じで。

業平
業平 佑次郎
『伊勢物語』は「東下り」の一幕。鼓を波打ち際で打つことで、都への郷愁の想いを紛らわせる在原業平、という場面かな。そこからは、プレイボーイとしての業平は感じられず、寂しい面持ちの業平を佑次郎が好演。

橋弁慶
弁慶 松十郎
夜鷹 折乃助
舞踊ならではの面白い筋立て。「橋弁慶」とあるが、実はパロディ。牛若丸ではなく、夜鷹が弁慶の前に現れるという舞踊。松十郎の弁慶、折乃助の夜鷹ともにぴったりの配役。いやしかし、折乃助も大概綺麗やな~。

相模蜑
相模蜑 りき彌
「蜑」はアマと読む。海女の意味。人気の曲とのことだが、小生、舞踊ものにはめっぽう弱く、「はて、人気と言われましても…」というところなんだが(笑)。りき彌は踊りも上手い。哀感なのか恋心なのか…。確かに伝わるものは感じたが。すまんな、舞踊ものに弱くて…。

朱鍾馗
朱鍾馗 當吉郎
言うまでもなく「疫病退散!」の祈りを込めた、締めの一幕。堂々とした、迫力満点の朱鍾馗の登場で、舞台がぐっと引き締まる。當吉郎の熱演。

最後に、9人が総踊りというか総出演でずらっと並んで、幕となる。いずれも短い出番ではあったが、それぞれが自分の色を出し切った舞台だったのでは、と思う。

後見 松四朗 愛治郎

★★★

ってことで、無事に上方歌舞伎会は開催されて、小生も久しぶりに見物することが叶った。まだまだ、油断のならない日々が続くだろうが、少しづつ、ステージものの再開が増えているのは、嬉しいところ。「恐れず、さりとて侮らず」。そんな日々を潤してくれる舞台に、できるかぎり接していければと思う、今日この頃である。

(令和3年8月27日 日本橋国立文楽劇場)


 上方のをんな 女方の歌舞伎譚』片岡 秀太郎 (著)

少し前の本だけど、秀太郎の名著。

<Amazon.com 解説文より>
名優の誉れ高い十三代目片岡仁左衛門の次男に生まれ、上方に生き、上方らしさに徹底的にこだわり続ける役者、片岡秀太郎が初めて語る女方の真髄!


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