人形浄瑠璃文楽
国立文楽劇場開場三十五周年記念
令和2年初春文楽公演
木偶にいま魂入りて初芝居 品川鈴子
「木偶(でく)」は木彫りの人形を言う。ここでの木偶は、言うまでもなく文楽の「首(かしら)」のこと。舞台で人形遣いが3人で遣う人形浄瑠璃では、その角度や仕草で、木偶は様々な表情を見せる。さっき笑っていた顔が、泣き、怒り、時に般若のような表情にさえ見えるのだから、不思議だ。本当に魂が宿っていると思うこと、しばしばである。
品川鈴子(昭和7年~平成28年)は、山口誓子の『天狼』に属して俳句、連句を行った俳人で、平成6年には俳誌『ぐろっけ』を創刊、主宰した人。
小生の初芝居は、1月4日の文楽劇場。世の人たちが、第1部の錣太夫襲名に詰め掛ける中、ひねくれ者なので(笑)、第2部を今年の初芝居とした。
ま、ブログ上では、第1部の錣太夫襲名から記すけどね(笑)。
文楽劇場の正月は華やかである。ロビーに足を踏み入れると、この三段重ねの鏡餅がまず、目に飛び込む。その脇には、近畿の寺社の住職や宮司の揮毫による干支の文字が飾られる。今年は、劇場とは目と鼻の先、高津宮の宮司によるもの。これを拡大して凧にあしらったものが、舞台の上にも掲げられる。
お向かいの黒門市場から届けられる「にらみ鯛」もおなじみ。昔は「意外と腐らんもんやねぇ~」なんて感心していたが、当たり前だ。レプリカに決まってるやろ(笑)。
今公演、竹本津駒太夫が六代目竹本錣太夫を襲名する。津駒はんは、もうずいぶん長い間聴いているし、以前は「そろそろ切の声がかかってもええんちゃうの?」なんて思っていたもんだが、聴けば聴くほどに非常にクセのある語りをする人で、場によっては「え?」と思うことさえある。それを芸人の「ニン」とするかどうかは、聴き手の好みなんだが、そこは劇場側も芸人の持ち味がフルに生かせる場を与えるべきではないかと思う。そういう意味では、今回、襲名披露狂言となった「吃又」は、大変好ましい場なのではないか。
開演前には、二階ロビーで丁寧にサインの筆を走らせる錣太夫。いくつになってもミーハーな小生も、きっちりサインをいただく(笑)。
ほんと、最近はお座席運がよろしくない。せっかくの襲名なのにこの距離だ。これでは、錣太夫の浄瑠璃を堪能できない。「もっとさっさと切符買いなさい」ってところだろうけど、そんな時間に余裕があれば…。ねぇ…。
七福神宝の入舩
寿老人 三輪/大黒天 津國/弁財天 芳穂/布袋 靖/福禄寿 亘/恵比寿 碩/毘沙門天 文字栄
清友、清志郎、清馗、清丈、友之助、清公、清方
新春と襲名を寿ぐにふさわしい賑やかな演目。とにかく床も手摺も人でいっぱい。そりゃそうだ。七福神それぞれに太夫、三味線が付き、当たり前だが人形は総勢7×3で21人。床も人形も、それぞれ愉快にやっていた。こういう演目は、いちいち「あいつは、こうだった。こいつは、ああだった」と語るのは、野暮というもんで、「ああ、なんかえらい賑やかにやってたわ」としておけばいい。意地悪な人はつべこべ言うんだろうけど、小生、そこまで意地悪じゃない(笑)。
フレッシュなメンバーが三味線に加わった。鶴澤清方が今公演でデビュー。いやまあしかし、お父はんにそっくりやな(笑)。彼は、実際のところ、三味線がやりたくて入門したんだろうか?と、ここで意地悪なことを考える小生(笑)。いずれにしろ、これから長い長い修行の日々となる。お父はんみたいに、なりなはれや。頭髪は別として(笑)。
エンディングの趣向は、襲名ご祝儀としてアリでしょう。ただ、普段の公演でたとえば「祝!セレッソ優勝!」とかやられると、「あ~あ」と思うだろうな(笑)。
宝船がめでたく船出したところで、20分とやや短めの幕間となる。中途半端やな…。「早飯は営業の基本」と、丁稚の頃に言われてたから、20分なら20分で芝居弁当(高い!)を平らげ、クソして、コーヒー飲んで、タバコ吸う時間はちゃんと作れる。そして、いよいよ襲名披露狂言の幕が開く。
竹本津駒太夫改め
六代目竹本錣太夫襲名披露狂言
傾城反魂香(けいせいはんごんこう)
口 希 團吾
一言で言うと、印象の薄い場だった。まあそこは、この次の錣太夫襲名へと、客席の期待感が高まっている中だったので、割を食らったというのも大いに影響しているけど、そこを打ち破るくらいに聴かせるってのが、そろそろ欲しいところ。
奥 錣 宗助 ツレ 寛太郎
ここに『文楽のすべて』(高木浩志・著)という一冊がある。奥付を見ると昭和57年の発行。巻末に「付・文楽の人びと」という章。その顔ぶれが「伝説」クラスがずらりと揃っていて、「この時代に文楽に触れていたのか、俺」と感心するが、まったく進化なし(笑)。で、この章では芸人に関して著者の「一言評価」が掲載されており、あ「あの名人もこの頃は、まだまだ発展途上だったのか」と思わされる。そこにあった、今回錣太夫を襲名した津駒太夫に対する評価は、というと、
高い声が出るが、快感にまで至らぬのは、ウレイが勝ち、色気に乏しいから。
というもので、40年近い昔に書かれたこととは言え、「ああ」と思い当たらないフシもない。しかし、ご本人は極めてまっとうに、生真面目に文楽に取り組んでこられたというのは、日ごろの舞台はもちろん、インタビューやイベントなどで見せる素顔からもよく伝わってくる。そういう積み重ねというのは、必ず芸に現れてくるから、古典芸能というものは長い間観続けても飽きないのである。
大がかりな口上幕は設けず、床の上での襲名披露。口上役は呂太夫はん。修業時代のエピソードを交えながら、同期だからこその温かい言葉が錣はんの人柄を表しているようだった。
「吃又」は、ハッピーエンドの正月にふさわしい演目だが、又平の生き方を語れる太夫となると、やはり相応の人生の積み重ねをしてきた太夫でないと、無理だろうなと感じた。そりゃ、若手の太夫だって語ることはできるだろう。でもそれまでだ。人生の、齢の積み重ねからにじみ出る滋味、味わい深さというものが活かされてこそ、又平夫婦の喜びを語り聴かせられるのだと。
そういう意味では、この襲名披露狂言は錣太夫のスタートにふさわしい演目だったのだなと、感じた。
錣はんの熱演にやや押され気味だったのが、人形陣。その中で、勘十郎の又平が「独り舞台」の様相すらあった。苗字を許されとことと、どもりが治ったこと二重の喜びを全身で表す踊りが、胸を打つものであった。
曲輪文/章
【吉田屋の段】
口 睦 勝平 ツレ 錦吾
伊左衛門 咲/夕霧 織/喜左衛門 藤/おきさ 南都/男 咲寿
燕三 ツレ 燕二郎(1/11)/清允(1/24)
人形浄瑠璃の人気作品の多くは、後に歌舞伎でも演じられるようになり、好評を博すが、歌舞伎から人形浄瑠璃に流入した作品も、そこそこある。この『曲輪文章』もそのひとつ。ちなみに歌舞伎では「文章」と書くが、文楽では「文へんにつくりが章」となる。
餅つきの場面。人形陣、やけににぎやか。「え?こんなんやったかな?」と思うも、ぼーっと観てるだけの三流以下の見物人だから、「なら、前はどうやったんや?」と聞かれると辛いものがある(笑)。ただ思ったのは、新町の一流の廓の餅つきにしては、随分と下品やなと。
後半、ずらりと並ぶ朱塗りの見台が、華やかで気分良い。太夫が咲太夫一門の掛け合いならば、三味線には燕三・燕二郎の子弟コンビ(公演前半)。人形も玉男はんの伊左衛門、夕霧の和生もコンビネーションよく。総体的に、床も手摺もチームワークの出来上がった「吉田屋」で、満足度の非常に高い演目だった。
小生の評価がいつもサイテーな番付も表紙~裏表紙に伊左衛門が着る「紙衣」があしらわれていて、しゃれている。ええんでないかい?
小生としては、この芝居は文楽よりも歌舞伎で観たい芝居。ハッピーエンド感が歌舞伎の方が高く感じるんよな。ま、どっちもやる役者、人形遣いによりけりではあるねんけど。いずれにしろ、伊左衛門は可愛げのある役者、人形がよろしいな。そういう見方からすれば、玉男はんの遣い方、随分と可愛げのある伊左衛門だった。憎めん男やな、伊左衛門。
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公演1週間目と千秋楽前日に観たのだが、1回目と2回目で、客入りが随分と違っていた。2回目は襲名披露というのに6割程度で、ちょっと悲しい気持ちになった。襲名披露公演でさえも、なかなか「かくも盛大に賑々しくご来場賜り」というわけにはいかないようだ。
だからねぇ、『忠臣蔵』の切り売りで年間全公演大入り満員で喜んでちゃ、あかんのですよ。地道に一人づつ関心のある人(ファンでなくてもよい、最初は)を増やしていく努力をせな。
(令和2年1月11日、25日 日本橋国立文楽劇場)
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。