【紀元二千六百七十九年 橿原神宮紀元祭】

梅正に綻びそむる紀元節 子規

正岡子規の詠んだように、どこかに春の訪れらしきものも感じてもいいような季節なんだろうけど、いやまあ、寒かったの何の。大阪や橿原神宮のある奈良県北部も、雪模様ではないかとの予報だったので、足元はそれなりの装備をしておいたが、雪にならず、一日中どんよりと雲垂れ込める紀元節となった。

小生、橿原神宮の紀元祭には何度も来ているが、この日のような空模様は今年が初めてではないかと思う。いやいや、2月11日だからまだまだ寒さが厳しいのは百も承知なんだが、ここまで身体の芯から凍りつくような経験はなかったと記憶する。

そんな次第で、紀元祭に参じた。昨年は外せない別件があり伺えず、一昨年は香港里帰り中で伺えずというわけで、3年ぶりのことである。例により、一般参拝者は入れない内拝殿前にて執り行われる「紀元祭」の末席に列座させていただく。

できるだけストーブに近い席を選んだが、どういうわけか、お昼が近づくにつれ、気温がどんどん下がっていくように感じる。スマホのアプリで見てみれば、3.9度。大和盆地の寒さはわかっているが、これはきついなぁ…。

「ちょっと身体動かせて!」と思ったところで、ようやく勅使さんが天皇陛下からの御幣物を奉る「御勅使参進」で、全員起立の上、低頭という「動き」に。なんとも運動量の少ない「動き」である(笑)。これでは体は温まらない。次の「動き」は、「君が代」の斉唱と「紀元奉頌の歌」の斉唱。まあ、温まりまへんわな(笑)。もう低体温症になりそうである。多分、あまり体調もよくはなかったんだろうけど…。これで雪でもじゃんじゃか降っておれば、寒さに納得もするんだが…。

とは言え、こういう厳かなる場に、年に1回だけでも身を置くというのは、いいものである。なかなか日常で経験できないものだ。それも、国の始めを祝い、国家の安泰と皇室の弥栄を皆で祈る場である。ましてや、平成の御代としては、最後となる紀元祭。こういう場におれるということを、まず感謝すべきであろう。寒い、寒いとぼやいていてはいけなのである。けど、寒いもんは寒い(笑)。

さて、式次第がすべて終了し、お楽しみは「直会(なおらい)」である。簡単に言えば、おさがり、お土産というところだ。例年通り、お弁当にお酒(1合瓶)、紅白饅頭のセット。寒くても、日が差しておれば、戸外でお弁当をいただいても、まったく苦にはならないんだが、この日はダメ。そそくさと、崇敬会館のロビーへ向かったのだが、さあ、ここがまた、凍てつくような寒さ。フル回転とは言わない。うっすらとでいいから、暖気を感じさせてほしかったなあ…。耐寒遠足じゃあるまいし、震えながらお弁当を食すのは、ちょっとねぇ…。

せっかくの充実メニューなのに…

境内の外は、いつもの紀元祭。全国から右翼街宣車が集い、それを狙うカメラ小僧も一の鳥居前にズッラと並ぶ。もっとも、現在は来年の御鎮座130年に向けて、一の鳥居、二の鳥居ともども撤去され、改修中。また、昨今は警察の規制も厳しく、街宣車も大音量でというわけにはいかない。まあ、この日くらいは静かに国家の安泰を祈りなはれ。

参道には、「北方領土返還」「自衛隊憲法明記」の実現を目指すための署名を求める一団、駅前には幸福実現党の一団と、政治臭も漂うのだが、右翼団体も含め、この日の橿原神宮にはふさわしくないと思う。他の日に、他の場所でなら、北方領土も自衛隊明記も喜んで署名するんだが、この日ばかりは完全スルーだ。それぞれのお考えなさるところに、いちゃもんつける気は毛頭ないけど、紀元祭はもっと厳粛な場であってほしいと思ってるんでね。

繰り返すが、「北方領土早期返還」も「自衛隊の憲法明記」も小生は、大賛成である。それだけに、TPOをわきまえた行動をお願いしたいということだ。

ま、そんなこんなで、寒さでかなりテンション低かった、平成最後の紀元祭であったとさ。お読みいただいた方、寒かったづくしでごめんなさい!

(紀元2679年紀元節 橿原神宮)


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