【上方芸能な日々 文楽】平成30年初春公演<1>

年が改まってこんだけ時間が経過して、いまさら「あけましておめでとうございます」でもないけど、一応、拙ブログは今回が今年一発目なんで、新春のご挨拶をば。

で、例年通り、新年最初の投稿は、文楽の初春公演である。
今公演は、咲太夫の父親である八代目竹本綱太夫の前名織太夫の五十回忌追善公演である。なかなか親の五十回忌を営む機会というのはないことだと思うが、それゆえにこれは「お祝い」を申し上げてよいものだと思う。また、愛弟子の咲甫くんが、八代目の前名竹本織太夫六代目として襲名する晴れの公演でもある。
青年と言うよりも、ほとんど少年だった咲甫くんが、大きな名跡を襲名することになって、時の流れを感じる。

年末以来、寒さが厳しい大阪だが、まずまずのお天気。初日の1月3日はハナから諦めて、公演3日目に。それでも床直下の良席は確保できず。補助席も出る大盛況は何より。織太夫と染め抜かれた幟がずらっと並ぶ。

お馴染み初春公演3点セット。新春の劇場はにぎやかでよろしい。十日戎を控えて、文楽劇場から出る宝恵駕籠も出番待ち。


2階へ上がれば、八代目綱太夫追善の祭壇が組まれている。「ほぉ~、こちらさんが咲さんのお父はんか~」と、満面の笑みを見せる遺影をまじまじと眺める。文楽で追善興行が組まれるのは、極めて珍しいことだというから、咲さんは孝行息子やな~。

襲名とあらば、こちらも見もの。ずらり並んだご祝儀の数に圧倒される。ここに収まりきらなくて、前方には青竹で竹馬が組まれている。

その「竹馬」にはこんなお名前も。彼は文楽大好きと公言する。どれほど好きかはわからんが、そう言っていろんな場面で宣伝してくれるだけで十分だ。いつぞやの大阪市長とはえらい違いである。

午後の演目『良弁杉由来』にちなみ、今年の絵馬は東大寺の狹川普文・別當の揮毫による「戊戌」。

追善と襲名の口上幕は、昼飯タイム直後に。実はこの時間帯、当たり前のことだが、相当な睡魔に襲われるので、このタイミングの口上幕は眠気を吹き飛ばすという意味でも、ナイスなタイミング。
一門や三業各陣営の主要メンバーが並んで、一言づつ追善と祝福のメッセージを述べるのかと思いきや、舞台には咲さんと咲甫太夫改め織太夫の二人だけ。背後には八代目綱太夫の遺影が吊り下げられ、雲竜図の渋い屏風が立てられている。父、綱太夫への思いを述べるに当たり、さしもの咲さんも初日には感極まって言葉がつまったようだが、そこは「切り替えの早い咲太夫でして」ということで、愛弟子への思いを語り「まだまだ修業中の身ですが、立派な花の織太夫となりますよう、ご後援を御願いたてまつります」と。また、口上によれば、八代目は滝廉太郎のいとこであり、「1月3日に生まれて1月3日に死んだ、ここらは非常にきっちりした人で」とも。
この日はさすがに感極まる場面はなかったが、父への思い、愛弟子への期待に満ちた、咲さんらしい口上だった。
もちろん、織太夫は言葉を発さず、低平のままであった。幹部がずらっと並んだ昨年の呂太夫襲名披露口上よりも、今回の方がグッとくるものがあったなぁ…。ま、そのへんは人それぞれ感じ方が違うとは思うけどな。

口上幕に引き続き、襲名披露狂言『摂州合邦辻』の「合邦住家の段」が上演される。南都・清馗の一門筆頭と織太夫実弟のコンビに始まり、咲・清治の史上最強ゴールデンコンビ、織にはいつも咲さんの相三味線を担う燕三が付くというリレーでつなぐ非常に聴きごたえのある襲名披露狂言だった。

(平成30年1月7日 日本橋国立文楽劇場)



  


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