【上方芸能な日々 落語】吉坊ノ会<4.Dec.2014>

落語
吉坊ノ会 <4.Dec.2014>

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年に二度の「吉坊ノ会」。前回に引き続き、今回も阿倍野の近鉄アート館にて開催。ここは便利なんだ。最寄駅から近鉄電車で5分少々。晩飯も天王寺・阿倍野橋界隈なら、遅くなったとしてもどこなと開いているしね。下世話な話、近鉄関係の飲食店で飲み食いすれば、KIPSカードのポイントも貯めることできるし(笑)。

さて、聴くたびに進化している吉坊の落語。ときには「おえ!そうきたか!」みたいな場面も見せてくれることもあって、ベテランみたいな空気を醸し出してるけど、やっぱりまだ彼は「若手」なんやなあと、そういうときに確認することもできちゃったりして、ま、とにかく楽しい会である。

<ネタ帳>
開口一番「代脈」  桂佐ん吉
「不動坊」  桂吉坊
中入り
ジャグリング  渡辺あきら
「井戸の茶碗」  吉坊

まずは、佐ん吉「代脈」でスタート。いつの間にか、7:3分けになってるし、この子。さすが吉朝の遺伝子というか、米朝一門の遺伝子というか、吉坊よりもさらに「若手」にもかかわらず、実に丁寧な高座さばきに感心する。以前は、ちょっと荒っぽいところが感じられたけど、「大人になったのね~」と、感心したり、「そりゃもう、これくらいはささっとやらなあかんキャリアやろ」と厳しい自分もいたりと。これくらいのキャリアの噺家さんを聴く楽しみでもあるわな、そこらは。

吉坊、最初の高座は冬のお話、「不動坊」で。だれがやってもそこそこ楽しいネタだけど、出て来る連中のやりとりのちょこっとした「間合い」だの、ふとした瞬間の「ほぇ?」的な表情だのと、熟練を重ねれば重ねるほど面白くなるのが、如実に現れるネタのひとつでもあるかと思う。吉坊の「不動坊」は初めてやったけど、これ、もし数年前に彼の「不動坊」聴いていたとしたら、「おお~、そこ、そんなことできるようになったか!」って感激してたかもしれないし、「若き熟練工」みたいな彼のことやから、「やっぱ、アンタのそれ、そこのやり方、めっさ上手いわ~」と、かつての感激を思い起こして「うんうん」とうなづいていたかもしれないし…。ってわけで、また数年後にも聴いてみたいね。

中入り。この会場は、客席に奥行きがそれほどなく、どこの席に座っても舞台との隔たりを感じさせないのはすごくいいのやけど、その割に舞台の間口が広くて、今回は上手の端っこだったからか、けっこう首が痛かったりする。まあ、人間50歳過ぎると、あっち痛いこっち痛いと急に言い出すから、気にせんとってな(笑)。

昔は、花月でも角座でも、ジャグリングとか奇術(手品とかマジックとかとはちょいと違うの、これが)などが色もので出番があったものだけど…。懐かしいなあ、ジャグリング。この渡辺あきらというお師匠はんは、京大卒というたいそう賢いお方で、けっこうテレビでもお姿を見受けることがある。と、言っても、「ジャグラーとしては、けっこう見かける」ということなんだけど。こういう芸も単に「こんなんできますよ~、わたし凄いでしょ~」って感じで見せるばかりじゃご見物も一向に盛り上がらないから、そこそこの話術も必要だから、器用なだけじゃ生き残ってはいけないんでしょうな…。

トリは吉坊で「井戸の茶碗」。元来はお江戸の話だけど、上方でもやる人はそれなりに居てる。居てるんやけども、これも「不動坊」と同じく、登場人物同士の会話の間合いや、「ほぇ?」な表情なんかの作り方で、「この噺家はデキル奴か否か」が、見えてしまう。ま、落語ってのは、およそほとんどのネタがそうであって、大御所が前座咄、たとえば「寿限無」とか「つる」とか「平林」あたりを聴かせてくれたりすると、もはや前座ネタではなく別物に聞えてしまうもんであるし。どうも吉坊は、かなり若くしてそういう域に達しようとしてるのではないかと思えて来る、「井戸の茶碗」だった。

「進化」という視点では、吉坊よりもむしろ佐ん吉にそれを感じたけど、吉坊が悪かったわけでなく、いけずな性格なんでなんとか頑張ってアラ探ししてやろうと思っても、それがなかなか見つからないのよ、アナタは。そういう点では、逆に吉坊にいけずされた気になってしもたわ(笑)。いずれにしろ、楽しいひとときだった。「次回は場所未定」とか言うてたけど、また近鉄アート館希望!よろしくひとつ!

(平成26年12月4日 近鉄アート館)


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