【上方芸能な日々 文楽】初春公演2回目(一部、二部)

いやいや、
「評判が評判を呼ぶ」
とは、こういう情況を言うんだろうか。

新春公演前半戦も決して客足は悪くはなかった。例年に比べれば。しかし後半戦に入って、一気に客足が伸びて、日々、満員御礼に近い状況が続いている。
―毎日観てるわけじゃないから、断定はできないけど、それこそ「評判」を聞けばそういうことだ。

ここにきて、大阪市の補助金関連で「どうなる?文楽」みたいな報道が増えたことも要因だろう。
―もっとも、どうなるわけでもなく、文楽は文楽であり続けるのだけど。

テレビの超人気番組で、落語家の桂南光師が「みなさん、行きなはれ」と強く呼びかけたり、各新聞が劇評などで「激ペン」を振るったりなどなど、メディアの露出度に比例して客足が伸びたのも事実だが、本当のところはそうではないというのは、初春公演をたとえ幕見で一かじりしただけでもわかるはずだ。
これははっきり言おう。公演そのものが素晴らしい出来なのである。芝居はもとより、場内の雰囲気も含めて。
「補助金減るから応援したろか」とか「俺、橋下嫌いやから文楽の味方するわ」とか「南光ちゃんがあんまり行け行け言うから」とか、劇場に来た理由は様々だろうけど、観終わればそんな理由はどうでもええことで、ただひたすらに「ええ芝居見せてもろた」「友達にも勧めよ」「もう一回観たい」「晩の部も観よう」となること請け合いなのである。
昔から文楽はそういうことの繰り返しだった。特に今公演で変わったことをしているわけではないのは、ほとんどの観客は知っている。なのに、だ。
では具体的に「評判が評判を呼ぶ」とはどう情況だったのか。

第一部、第二部の二回目観劇で感じたあれこれこれから、それを感じとってもらえれば。以下に。

201401bunraku_poster初春公演第二部観劇
開演20分前に到着。「平日の二部は当日でもエエ席取れる」と、タカをくくっていた自分を嗤うしかない。「嬉しい大誤算」。「ここ!」と思う席は2等席を含め完売。「とにかく太夫の近くに」というのが信条なので、端っこになるけど桟敷状になった席を確保。これとてあと数分遅れたらゲットできたかどうか…。
エスカレーターを上がると、数名の技藝人が並んで第一部の客の見送りと第二部の客の出迎え。「ご来場ありがとうございます!」とお客に声をかけたり、人形を持って記念撮影に気軽に応じたりしている。これはいいファンサービス。まったくこれまでになかったというわけじゃないけど、恒例のこととしてほしい。ここまで客との距離が近い古典芸能はないだろう。

IMG_0864.jpgblog「禿(ハゲちゃうよ、『かむろ』やで!)」を遣う勘市、左で簑之(まだあどけないね)

IMG_0865.jpgblog立派に「侍宣言!」した太郎吉君を玉彦&勘助(左遣い)。右に津國大夫。
勘十郎師もこの近くにおり、お客と談笑。日替わりで三業総出のファンサービス

『面売り』
前回も書いたが、太夫の掛け合いがちょっと…。三味線はいいし、人形の一輔がいい。
彼、数公演前までそれほどの印象はなかった。もちろんお父さんが一暢さんということで、気にはなっていたが、せいぜいそこまで。ところがここ数公演、「たたずまいが美しい」と思うようになる。勝手に推測すると、何かきっかけをつかんだのかもしれない。勝手に思ってるだけだけど。

『近頃河原の達引』
「四条河原の段」
感想は前回と同じ。せっかく文字久がいい語りで進めてきたのに、御簾内の「グチ」がどうにも。公演前半で聴いたのと違う声の主と思うけど、言うちゃ悪いが、腑抜けな殺人シーンにしか感じんかった。
「堀川猿廻しの段」
とにかく住さんは超人。錦糸とツレの龍爾、与次郎母と稽古娘(勘壽、紋吉)のピタッと違わぬ音、人形の手の動きに客席の眼は釘付けとなり、住さんの『鳥辺山』が聴ける。「これが文楽でっせ!」という一場面を間近にする喜び。
猿廻しは、やっぱり二匹のお猿が切ない。多くの客さんはお猿の動きにやんやの拍手喝采。「動物もの」が強いのは別に今のテレビ界だけのことではなく、300年以上昔から好まれていたのでしょうな。一方で、やっぱりここは「そりゃ聞えませぬ伝兵衛さん」。もっとボクに勇気があれば「英大夫、たっぷり!」と掛け声かけたい場面だけど、ヘタレなので生涯できないと思う(笑)。

『壇の浦兜軍記』「阿古屋琴責の段」
床と人形と客席の「スイング感」抜群。三曲(三味線、琴、胡弓)担当・寛太郎ノリノリ、人形(主・勘十郎、左・一輔、足・勘次郎)もノリノリ、もちろん津駒さんもノリよく語り、何よりも客席が超ノッてるのが素晴らしい。その一方で、シンを弾く寛治師匠の三味線のなんと透明感のある音色であることか。結局、最も存在感があったのが寛治師匠なんだから、凄い!
これを魅せられ、これを聴かされりゃ、たとえ初心者でも「もういっぺん行きたい」となるだろうし、家族や知人友人にもこの体験を伝えたくなって当たり前。
これこそまさに「評判が評判を呼ぶ」ということだろう。

1401omote初春公演第一部観劇
「行ったはいいがチケット完売ではどうにもこうにも…」というわけで、予定の前日に国立劇場チケットセンターへ慌てて予約。もうその時点で前回同様に桟敷状の席のごく一部しかなく、「ああ、予約してよかった」。
まあこの日も大変な客足で、平日の朝っぱらから補助席も出る盛況ぶり。小生、文楽劇場の補助席には2回座ったことあるけど、いずれも歌舞伎。現・藤十郎が鴈治郎襲名のとき。あの時はまさに「大当たり!」の公演だった。それに負けないこの活気、熱気。

『二人禿』
人形がいいね、よかったね。紋臣、簑紫郎のコンビ。三味線、新人の燕二郎がイイ面構えで弾いていたのが印象深い。将来期待の星か?

『源平布引滝』「九郎助住家の段」
中:やっぱり、睦大夫、喜一朗、可も無く不可も無く。ごめん!
次:前回も言ったが、千歳大夫は出色の出来。次公演が楽しみな太夫の一人。お客を物語に引き込む力がみなぎっていた。今公演の敢闘賞。
切:咲さんの義太夫節は申すまでも無く、燕三の三味線も心に響く。「これが切場」を改めて認識。人形はどうしても太郎吉に注目となるが、九郎助や九郎助女房もいい味が出ていた。玉女さんの斎藤実盛がやっぱりカッコイイ!
後:呂勢大夫、渾身の義太夫節。清治もグイグイ引っ張る。客席もグイグイ引き込まれている。観ていて聴いていてよくわかる。やはり床と人形とお客の「スイング感」が素晴らしい。三業大熱演の「布三」に、「大当たり!」の掛け声! で、ボクも続きたかったけど、やっぱりヘタレだから「大当たり!」と口だけ動かしてましたとさ(笑)。

休憩時間のロビーはとにかく人でいっぱい、弁当食う席あれへんやん(笑)。色んな風情の人いたね。基本、平日は高齢のご婦人多いけど、加えて若者グループ、おっちゃんグループ、外人さん、お子さん(おい!学校は行かんのけ?)、「お前、営業サボって来てるやろ!おい!」みたいなサラリーマン氏(昔、ちょいちょいやってました、アタシw)…。みんな「評判」を聞いて駆けつけたのかえ?

『傾城恋飛脚』「新口村の段」
口:御簾内の靖大夫の語りに恋焦がれる(笑)。もうねえ、一昨年の『仮名手本忠臣蔵』以来、靖大夫にぞっこんなのでありますよ、アタシは。今度は顔見せてよ~!
前:津駒大夫、藤蔵。藤蔵は上手いなあ、聴き惚れるなあ。自分と同年代の三味線さんがこんな凄い技で客席を唸らせている、もうそれ、ただただ尊敬あるのみ。
切:嶋さん登場、「嶋大夫!」の声もあちこちからかかる。この嶋さんがいまだに人間国宝でないことの不思議。本人が固辞してるのか、「いやまだまだ」と思われてるのか…。いずれにしろ、嶋さんほどのお方が人間国宝になれないほど、文楽の世界は厳しいと。そんな嶋さんにたっぷり聴かされ、簑助師匠の梅川の動きに釘づけになりと、もうこの「これぞ文楽!」の攻撃に、梅川と一緒に「シエヽ」と涙するしかないのあります。

ほぼ超満員と言っていい客席から、ナントカ元首相じゃないけど「感動した!」ってな拍手がご~~~~と沸き起こると、客として観てる方も気持ちがいいですわな、これ。
観ればわかる、聴けばわかる「ライブ」の醍醐味、別に文楽だけじゃないけど、行かないと何も見えてこないってことを、初体験の人が感じればそれでOK。
この経験をどれだけ多くの「初体験」の人に味わってもらうかは、喫緊の課題にして永遠の課題。これまでそれを怠ってきたとは言わないが、充分でなかったのも事実。
公演パンフの充実や、ビジュアル的にセンスあるポスターや情宣チラシの製作も課題の一つ。言い出せばキリがないんだな、実は。

まあ、小難しいハナシは置いといて。
今公演で「評判が評判を呼ぶ」ことができた背景は、これひとえに技藝人と客席の「スイング感」があったからじゃないかと感じた。「一体感」とまた違うんですな、これが。人形を遣う者、音を奏でる者、義太夫節を語る者、それを楽しもうとする客とが奏でる「スイング感」。行った人はわかる思うけどな。
こんなの、そうそうあることじゃない。だからこれからも文楽は、大入り不入りを続けて行く。何百年とそういう世界なんだわ、ここは。そこがわからんのやな、何某の市長には…。まあええけど。俺らは変わらずに観に行くだけやし。

(第1部2回目観劇 平成26年1月21日、第2部2回目観劇 平成26年1月24日)

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