人形浄瑠璃文楽
平成25年度(第68回)文化庁芸術祭主催
公益財団法人文楽協会創立50周年記念 竹本義太夫300回忌
平成25年11月公演 <幕見「沼津」>
「もういっぺん、『沼津』で住さんに泣かされたい!」
大阪では21年ぶりとなる『伊賀越道中双六』の通し上演。11月6日に昼の部を観てからほぼ2週間。文楽劇場へ再び「泣かされ」に行ってきた。
俗に言う「沼津」は、『伊賀越~』の六段目にあたり、「沼津里の段」、「平作内の段」、「千本松原の段」の総称である。最近は、『伊賀越』というと、この段だけの上演が多く、言いかえれば、それだけ「通し狂言」が難しいということを物語っているとも言える。
仇討モノである『伊賀越~』なれど、この段では登場する人たちは、直接仇討には関わらない。一方で、非常に感動的なストーリー展開であるが故、文楽、歌舞伎ともどもに人気がある。
今公演で住大夫は、『伊賀越~』のストーリー全体の最大の山場であり、人気の場面でもある「千本松原の段」の段を語り、多くの観客の涙を誘っている。
11月7日に記した1回目の観劇記は、かなりさらっと書いている。一たび書き始めるとあまりにも記録しておきたいことが多すぎたのと、その実、床のまん前という「特等席」で、これでもかの浄瑠璃パワーを浴びで、フワフワになってしまっていたのかもしれない。今回は、「幕見」ということで、上手桟敷席の後方からの見物。床はもちろん、舞台全般が見渡せる。
沼津里の段
津駒大夫、寛治、ツレ・寛太郎
呉服屋十兵衛(和生)と雲助平作(勘十郎)<実は十兵衛の実父。この時点では双方とも事実を知らない>の軽妙でのどかななやり取り。「小揚(こあげ)」と言われる場面。まさかこの10数時間後に「最初で最後の」親子の対面があろうとは…。
しかし、このイキの合いようも、よくよく考えれば、血のつながりがあってのことだったのか…。ここらが津駒はんの聴かせどころ、寛治師匠の聴かせどころ。切場になって、こののどかな光景が、ぐっと生きてくる。重ねて言うが、寛太郎の成長ぶりが頼もしい。
平作内の段
呂勢大夫、清治
前回、「この日の呂勢は及第点」と言ったけど、さて公演も後半戦に入って、及第点どころではない内容だった。
「お米のクドキ」が圧巻。夫である志津馬の病気を治したい思いで、十兵衛が持っていた薬を手に入れたく、その枕元から印籠を盗まんとし…。そのワケをお米が語る「お米のクドキ」。「あすの夜は、我が身の瀬川に身を投げて…」で、十兵衛はお米の正体を知り…。この場面、簑助師匠が遣うお米に釘づけになってしまうものだが、少なからぬ観客の耳は浄瑠璃に傾いたはず。切の住大夫へうまくバトンタッチできた。
千本松原の段
切) 住大夫、錦糸、胡弓・清公
沢井股五郎の在処を聞き出そうと、平作は夜道を駆けて十兵衛を追う。「オヽイ~」の呼び声で、すっかり住大夫に引き込まれてしまう。あれはホント、何なんだろう…。そこが「値打ち」と言えば、そうではるのだけど、それだけではないんだ、あれは…。
こうして始まった「千本松原」。
血筋と義理と道分石、分けて血の緒の三界に、踏み迷うこそ道理なれ 親の心を察しや
と、小生はすでにここで涙ボロボロなのである。小生自身を省みるに、こんな画に描いた親不孝息子でも、一厘の情は残っているのかと、ハッとさせられてしまう、そんな、ある意味恐ろしい文句である。ここを住さんが語るともはや、有無を言わずに涙腺は決壊する。
覚悟を決めて十兵衛を追っかけた平作、十兵衛の脇差を抜き、自分の腹にグサリ! 平作の自己犠牲…。親仁さま~、そこまでしてアナタは…。また涙でボロボロ。
「おりゃおりゃこなたの手にかゝつて死ぬるのぢや、死ぬるのぢやわいの。こなたとおれとは敵同士、志津馬殿に縁のある、この親仁を殺したれば、頼まれたこなたの男は立つ。コレこの上の情けには、平作が未来の土産に、敵の有所を聞かして下され、敵の有所を聞かして下され、ほかに聞く者は誰もない。今、今死ぬる者に遠慮はあるまい。不思議に初めて逢ふた人。どうした縁やら、わが子の様に思ふもの。何のこなたに引け取らす様なことこの親が、イヤサこの親仁がいたしませうぞ。これがこれが一生の別れ、一生のお頼み。聞かずに死んでは迷ひます、聞かずに死んでは迷ひますわいの。コレ拝んます、拝んます、旦那殿」
清公の弾く胡弓の音色が、さらに胸を締め付ける。あれはキツイ…。あかん…。涙止まらん…。
もはや十兵衛は迷ずに、草むらで事を固唾をのんで見守るお米と池添孫八に聞こえるように、「落ち行く先は、九州相良!」
親子一世の逢ひ初めの、逢ひ納め
ここからの住さんは、一層たいへんなことになってきて、、
「親仁様親仁様、平三郎でござります。幼い時別れた平三郎、段々の不孝の罪、御赦されて下さりませ、御赦されて下さりませ」
「アヽ兄かい、平三かい、エヽ顔が見たい、顔が見たい」
「親仁様親仁様、お念仏をおつしやりませ、お念仏、お念仏」
「なむあみだ なみあみだ なみあみだ」
「ソレ今が親仁様の御臨終、今が親仁様の御臨終、なむあみだぶ、なむあみだぶ、南無阿弥陀仏」
とくに平作の「顔が見たい」とか念仏は、言葉ではなく語りでもなく、「息遣い」であった。住さんの真価、ここに極まれりと言うか、そんな言葉で簡単に言ってしまってよいものかというくらいのものだった。
「あんた、住大夫を持ち上げすぎちゃうか?」と思う人あれば、公演は24日まであるので、ぜひともご自身の目と耳で確かめてもらいたいと思う。
もちろん、住さん・錦糸のこの「千本松原」に至るには、津駒はん・寛治師匠の「小揚(こあげ)」、呂勢・清治師匠の「お米のクドキ」が巧みにつないできたというのもあるし、簑助師匠のお米、勘十郎の平作、和生の十兵衛の人形も非常に見ごたえのある素晴らしいものだった、というのもある。が、にしても住さんよ! なのである。こんな「沼津」、この先も見聞きできるのか? ますます後進の太夫の責務は重大である。
小生が夜の部を見物した日と翌日に、NHKが全段を収録している。これがどういう形で電波に乗るのか、あるいは乗らないのか…。NHKには、「大序」から仇討「十段目」までを、数日に分けてでも、カットすることなくすべて放映してもらいたい。ちゃんと受信料払ってる者からの切なる願いである。
(平成25年11月12日 日本橋国立文楽劇場)
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。
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