【Go! Go! HAWKS 2013 15】36年ぶりのユニフォーム

Go! Go! HAWKS 2013
ホークスvs ゴールデンイーグルス19回戦

福岡2日目の朝が来た。相も変らぬ凄まじい雨に、那珂川はメコンの濁流が如し。

それでも僕は行く!南海ホークスが呼んでいる!

前回も書いたけど、今回福岡へ向かったのは、ホークスが南海時代のユニフォームで試合をするからではない。プライベートを現場に持ち込んだとして、南海球団を追われた野村克也が、36年ぶりに「ホークス」と名のつく場に姿を現す、その瞬間を見たいがためである。

思えば、小生が中学2年生だった昭和52年(1977)の9月、「野村、南海退団!」の報道が駆け巡り、それが事実となり…。そこから始まる南海球団との確執は長きにわたり、球団が南海からダイエー、ソフトバンクに移ってもなお、野村とホークスには接点がないまま、今日まで時間が過ぎ去った。

小生が本格的に球場で野球を見るのが楽しくなり始めた小学校1年生のときに、野村は南海の選手兼任監督に就任した。言うなれば、小生の「野球観戦の基礎」は野村の野球、すなわち「シンキング・ベースボール」。おかげで今も楽しく野球観戦出来ている。そんな絶対的存在の野村がまさかの南海退団。そりゃもう驚天動地のできごとで、「俺は明日からどうやって生きて行けばよいのか…」と、本気で悩み、悲しんだ。「一寸先は闇」とは、こういうことかとも実感し、まさに南海ホークスは暗黒時代へと転落してしまう。

野村南海時代の野村。その存在こそが南海ホークスのすべてだった

ご存知の方も多いと思うが、大阪球場の跡地に建設された商業施設「なんばパークス」にある、「南海ホークスメモリアルコーナー」には、野村の写真や記述は一切ない。当初、多くのファンは「南海は、野村をこの期に及んでも排除してるのか!」と呆れたり怒ったりしていたのだけど、その後、テレビのドキュメント番組で、実はそれらは野村側から展示を辞退(拒否)していたということが判明する(関西テレビ『帰らざる日々 南海ホークスへの鎮魂歌』)。そんな経緯もあって、「ノムやんが、ホークスと接点を持つことは永遠にないな…」というのが、ノムやんの南海時代を知るファンの共通の思いであり、悲しみであり…。

これまでにソフトバンク球団は何度か「復刻ユニフォーム」企画で、南海ホークスの歴史をリスペクトしてくれてきた。それは嬉しい企画ではあったが、そこに何か一つ足りないものがあった。そう「ここに野村克也がいないこと」。野村を語らずしてホークスの歴史は語れず、またその逆も。

今回の「レジェンド・シリーズ2013」、発表当初はわざわざ福岡まで行く気は、まったくなかった。「勝手にやっときなはれ」だった。捻くれ南海ファンは、福岡で南海のユニフォームなんて見たくもないし、悲しい別れの思い出がよみがえる『南海ホークスの歌』を福岡ドームで聴きたくないし、無言でメガフォン振り回して「メガフォンダンス」とやらに興じているだけの連中に、南海の歴史を知ってもらいたいとも思わないし、そもそも福岡の球場の雰囲気そのものが肌に合わない。だからこれまでも、数えるほどしか福岡には行っていない…。

そんな折、球団からメールでニュースレターが届き、普段はほとんど内容に目を通さないのだけど、この日はたまたまじっくり見ていたら、そこに「野村克也」の4文字が!もうそれだけで、小生には「大事件」である。あれほど互いに接点を持たなかった(持とうとしなかった)両者なのに、いままさにこの、「ホークス」から届いた一通のニュースレターに「野村克也」の4文字があるではないか!そして試合前に講演会があり、試合前のセレモニーではグラウンドにも立つというではないか!「大事件×2」だわさ、これは! 

これは何としても福岡へ行き、「ホークス」と名のつく場に姿を現す野村のおっちゃんを見なければ、一生後悔するどころか、死してなお、あの世でも後悔し続けるだろう。そんなわけで福岡行きを一瞬のうちに決意した次第。試合は「二の次、三の次」(笑)、とにかく講演会とセレモニーである、目的は…。が、いや待てよ。相手の東北楽天のローテを鑑みるに、1日目は田中将大だから「なんか負けそうだけど、ナマで見ておくのいいかも」、で、2日目は野村のおっちゃんで、残り1試合でそのまま帰るのもアレなハナシやし、ほな、3連戦全部いっとこか! と、急にえらい好景気になってしもて、「ノムやん効果」恐るべし、という状態ではあるが、野村時代を知る南海ファンなら、そうなってしまうわな…。

講演会場は、福岡タワー。到着するとすでに座席の3分の2程度が埋まっている。全部で400席前後か? 定刻の約5分遅れで、ノムやん登場! 「野村-野球=ゼロの男ですから、野球のことしか話せませんけど…」と例の調子で講演会がスタートする。なんでもエエねん、ここにおっちゃんがおること、それだけで十分ですねん、こっちは。

小生がここまでの至近距離でこのおっちゃんの肉声を聞くのは、昭和51年(1976)の中モズキャンプ初日以来じゃないかな? あの頃は今と違って規制がユルユルで、ファンも比較的自由にグラウンドに入ることができた。一通りの練習が終わった頃、記者たちがベンチの野村監督に群がると、それを取り囲むようにファンも群がり、監督の言葉に耳を傾ける。まあ、何をしゃべっていたかは忘却の彼方だけど、モソモソと例の口調で、この年に入団した江夏豊のことや「打倒阪急」に関してしゃべっていたのは、確かだろう。37年ぶりにこうして間近で肉声を聞ける、それが「ホークス」と名のつく場であるということに、感慨無量。単なる講演会ではこんな気分には絶対ならない。そこが「ホークス」の場であるからこその感激なのだ。

講演内容は、これまで著書やインタビュー記事などで散々語れてきたことなので、斬新さはなかったけど、この場に野村のおっちゃんと居るということが、最上の喜びであった。あとは、おっちゃんが、試合前のセレモニーで南海ホークスのユニフォームに袖を通してくれるかどうか、興味と言うか願いはそちらへと移っていく。まさか楽天のユニで現れないよな?それも充分に考えられるだけに、どうか、ノムやん、南海のユニフォームで現れてくれ…。祈る思いで、ドームへと急ぐ…。

???????????????????????????????ちょっとちょっと!!
野村のおっちゃん、南海のユニ着てるんちゃうん??

講演会とセットになったS指定席は、三塁側。まあ、ここの球場は場所に限らず、ほぼすべてがホークスファンで埋まるので、その点ではどこで見ても遠慮気兼ねは不要。

DSC01398まずはカドさん登場!
「3番、ライト、門田」ってコールしてほしかったな…

さあいよいよセレモニー開始。まずは門田博光選手登場! もし、ホークス75年の歴史の中で、「レジェンドベスト3」を選ぶなら、杉浦忠、野村克也、門田博光になるのは間違いないだろう。そしてドキドキするのは、門田と野村が今ここで、野村退団以来、恐らく36年ぶりに居並ぶということ。「3番・ライト・門田、4番・キャッチャー・野村」この打順こそ、僕にとって最高の「南海ホークス」! いよいよノムやん登場。

DSC01403そして、36年振りの「南海ホークスユニフォーム」に袖を通した
「4番、キャッチャー、野村、背番号19」だ!

「おっ!南海ユニ着てる!」

もうこれを見ただけで、ウルウルしてしまう。実にあの退団騒動から36年待った。文字で書けば「たった36年」だが、あの日中学2年生だった少年が50歳になっていた のだから、その歳月はあまりにも長過ぎた。そして少年は「いつの日か、きっと…」と、待ち続けた。そして、ついに目の前でその「瞬間」を見届けたのだ。頑なに南海ファンであり続けたのは、この瞬間のためだったのかもしれない…。

「のぉぉむらぁぁぁぁぁ!」と、中2のとき、好機で打席に入ったノムやんに送ったのと同じ口調で叫ぶ50歳になった少年ホークスファンは、とてもとても楽しく嬉しく、声を上げたのであった。

「相変わらず垢ぬけせんユニフォームやな」なんて本人は言うけれど、野村克也にこれ以上に似合うユニフォームは世界中どこを探してもおまへんて、監督! とにもかくにも、

「ホークスへお帰りやす! 野村のおっちゃん!」

始球式。右打席にノムやん、左打席にカドさん。二人のバット構えた位置がとてもとても懐かしい。今でもこの二人と藤原満の打撃フォームは真似できちゃうんだぜ、俺(笑)。王貞治会長が手渡したボールを左右の打席に立つ二人の真中へ少年が投げ込む。

「少年よ、この二人のことを忘れるなよ! ホークスだけでなく、日本のプロ野球の歴史に永遠に名を残す偉大な二人の打者を」

nomu&kado-sabkei王、野村、門田。日本球界の本塁打数トップ3が、それぞれ立場は違うとは言え、全員がホークスに在籍したという、この球団の歴史。福岡のファンや若いファンにどれほど伝わっただろうか…。この歴史が旧南海ファンだけのものにならないよう、ソフトバンク球団には努力してもらいたいのだが…。

カドさんが、野村のおっちゃんの手を引きながら、ベンチへと下がって行く。南海時代、いつでもこの二人は険悪な関係にあった。「カドは全然こっちの言うこと聞きよれへん」と一方がぼやけば、一方はさらに頑固に自分の野球を貫こうとした。だから、こんなにこやかな二人を見たのは、これが初めてかもしれない。36年目にして、二人の間にも、「雪解け」があったとしたら、それはそれでまた嬉しいことだ。

試合はエース攝津が、貫禄と安心と信頼の投球内容で、初回・先頭打者本塁打を浴びるもすぐに切り替え、それ以降は完璧なピッチングで7回を抑えて14勝目。打撃陣も4回、6番・松田の適時打で勝ち越すと、6回に打線がつながり5番・長谷川の2点適時打と2番・今宮の3点適時打などで一挙6点を奪い試合を決めた。

第19回戦(H・9勝10敗0分)31.aug勝:攝津(14勝5敗) 負:辛島(1勝2敗)
本塁打:E岡島1号
観衆:36,782人

8月は14勝11敗の勝ち越しで終わり、いい感じで9月の大攻勢へつなげることができそうな雰囲気。

南海ホークス、さぁ行こう!

DSC01428勝利の花火も緑色!(写真じゃそうは見えないね)

(平成25年8月31日 福岡ドーム 昼間)





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