【上方芸能な日々 文楽】平成25年初春公演その2~きつね!!*旧ブログ

人形浄瑠璃文楽
平成二十五年初春公演 第二部

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文楽の平成25年初春公演も、好評のうちに1月25日に千秋楽を迎えた。

住さんも復帰し、観客動員も良好で満員御礼の日も出るなど、まずまずのスタートではなかったかと思う。

文楽を敬遠する人の中には「寝たら失礼やし…」という声をよく聞くけど、寝る人は多分、歌舞伎に行っても宝塚に行っても、新喜劇を見ても、ヘビメタのライブに行っても寝るんだと思う。

アタシは、別に寝ても構わないと思う。もちろん、ガーガーといびきをかくなどして周囲に迷惑をかけるような寝方はアカンけど、寝たけりゃ、すやすやと寝ればいい。

「ここや!見逃すな、聞き逃すな」ってところで、必ず太夫や三味線が起こしてくれる。あるいは、よくできたもんで、「あ~、よう寝た」と目を覚ませば、恐らくその場面はクライマックスである…。

文楽劇場では、好みの一幕だけを観劇できる「幕見」も設けているので、「寝たら失礼やし…」と思って躊躇してる人は、利用すればいいと思う。それでも寝てしまう人は、恐らく文楽に限らず芸能鑑賞という行為には向いていないんだと諦めて、ライブがもたらす潤いを享受できないカラカラに乾いた人生を送るか、一念発起して訓練するか、だと思うな。

ま、講釈はこの辺にして。第2部を1月22日に見て来ました。

 

団子売

新春には欠かせない景事なのだけど、はて、何十年ぶりかで見るような錯覚はなんででしょう? ボケて来たのか?
咲甫と相子はもちろんのこととして、他の太夫、とくに靖、小住、文字栄がよく声が出ていて好感が持てた。

 

ひらかな盛衰記(ひらかなせいすいき)

■文耕堂、三好松洛、浅田可啓、竹田出雲、千前軒の合作。五段構成時代物
■初演:元文4年(1739)、大坂竹本座
*『源平盛衰記』をわかりやすく改めたものとされている

先代の鶴澤燕三の三味線が好きだった。もうけっこうなお年ではあったが、その音色は客席にぴ~んと響き、その眼光も鋭く、まさに「文楽の人」を画に描いたような名人だった。

1995年、この『ひらかな盛衰記』の「逆櫓の段」を公演中に倒れ、結局舞台復帰ならず、数年後に他界された。

その先代の遺志を継ぎ、当代燕三が襲名した公演は、香港から飛んで帰って来て観劇した。もう7年前のハナシか…。

そんなことを思い出しながら、

「松右衛門内の段」
切場は、咲大夫・燕三のコンビが好演。いやいや、これは名演でした。この空間にいることに、このうえない幸福感を感じずにはおれなかった。これは別途、素浄瑠璃で聴かせていただきたいなぁと。咲さん、すごいわ!
こういうのん、「追加公演」とかできませんかね?

「逆櫓の段」
咲さんの極みの芸の後ということで、英大夫はちょっと割り喰った感はあったけど、この人は「乗せ上手」だなぁと感心。「やっしっし…」の掛け声など、力強さにやや欠けてはいたが、総体的に間の取り方が上手いので、人形もよく動いていて、いい舞台でした。これも「追加公演」希望!!

 

本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)

■作者:近松半二ほかの合作。五段ものの時代物
■初演:明和3年(1766)、大坂竹本座

 「十種香(じゅしゅこう)の段」
大好きな嶋さん登場で、わくわく気分。聴かせるな~、嶋さん。「嶋さん聴けて、今日も幸せ」というところ。申し分ありません!
人形では、簑助師匠の八重垣姫がもちろん絶品。

「奥庭狐火の段」
実は、前回の「奥庭」で、帰りがけにアンケートにちょっとだけ「これはどうなんよ?」と苦言を書いて帰ったのです、大胆にも。そこがどうなるのか目を凝らしてましたが…。「お、やるやん!」みたいな…。

で舞台。これはもう、勘十郎の八重垣姫が圧巻ですな。素晴らしい狐ぶりでした。ああいうのを見せられると、文楽から絶対に離れられなくなりまする。最後のキメも「かたじけなさに涙こぼるる」ほどで、場内の拍手が鳴りやみません。

床では呂勢大夫も奮闘してました。毎度、上げたり下げたりの評価で申し訳ないんやけど、この奥庭でまた一皮むけたんじゃないでしょうか。

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当初、新春公演がいわゆる「おいしいとこつまみ食い」の「見取り」狂言が並んで、「せっかく忠臣蔵の好演、大入り続きで盛り上がっているのに、これでええのかえ?」と危惧していましたが、蓋を開ければ、見どころ聴きどころ満載の初春公演でした。

文楽にとって、よき巳年となることを予感させる、そんな空気を文楽劇場に感じました。

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(平成25年1月22日 日本橋国立文楽劇場)


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