【上方芸能な日々 文楽】女殺油地獄*旧ブログ

人形浄瑠璃文楽
平成二十三年四月公演<第二部>

それにしても『女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)』とは、なんともすごいタイトルです。このタイトルが今から300年もの昔に考案され、そしてその物語が人形芝居で演じられていたとは…。やはり近松門左衛門、タダ者ではありませぬな。

4月24日、千秋楽となった文楽春の公演。楽日前の23日、駆け込みで鑑賞してきました。

碁太平記白石噺(ごたいへいきしらいしばなし)

■初演 安永9年(1780)1月、江戸外記座
■作者 紀上太郎・容楊薫・烏亭焉馬・三津環
■同年11月から大坂で公演された際に改訂


「浅草雷門の段」「新吉原揚屋の段」
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割とよく上演されているような気がします。
本来は十一段続きということですが、もっぱら七段目にあたる「新吉原揚屋の段」を中心とした上演になっています。

奥州から巡礼姿で、吉原で奉公しているという姉を探して出てきた愛らしい「おのぶ」は蓑助師匠。その姉で吉原は大黒屋のナンバーワン・傾城宮城野を豊松清十郎。宮城野の落ち着きと、妹から両親の非業の死を遂げたと聞かされた際の心の動揺を、人形が表情や顔色を変えているかのごとく遣うのは、清十郎の真骨頂というところ。

この場面を嶋さんが見台をたたき壊すんちゃうか?というほどの、汗びっしょりの迫真の語りで。

嶋さんがこうして熱演するのを見て、「ああ文楽に来てよかった」と思う。

ちなみに。
姉妹の再会の場面で、

…首にかけまく壺井の守り
「アゝコレこの妹が国を出る時、母様が大事にせいと下さんしたこの守り、父様は楠家の御浪人故、河内の国壺井八幡様のお守り…

とあるけど、これは我が母校・大阪府立羽曳野高校(現・懐風館高校)のそばにありまして、体育のマラソンコースの一部となっておりました。河内源氏の祖廟であり氏神であります。河内源氏は八幡太郎義家ら「源氏三代」が有名ですが、その三代(頼信、頼義、義家)の墓標「源氏三代の墓」もまた、母校のそばにあります。

と、浄瑠璃聴きながら「お、壺井八幡とは!」と、思わず身を乗り出した次第。姉妹の父親が楠家の浪人とありますから、楠公の本拠・千早赤阪ともそう離れているわけではないので、壺井八幡を信仰していたとしても不思議な話ではありません。ただ、大楠公が壺井八幡を信仰していたかどうかは、小生は史料を持ちえておりません。

女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)

■初演 享保6年(1721)、大坂竹本座。文楽ではこれ以降公演なし。
■作者 近松門左衛門
■昭和27年、素浄瑠璃としてNHKラジオで放送され、昭和37年4月、文楽座で徳庵堤、河内屋が舞台化。昭和57年2月に復活公演


「徳庵堤の段」「河内屋内の段」「豊島屋油店の段」
また言いますが、何度も言いますが、このタイトルです。
もう字面を見ただけで、何やらおぞましい物語であることが想像できるじゃないですか。

実際に「油まみれになって女を殺す」物語なのではありますが、そこは近松。そこに至るストーリーや女=お吉を殺害した犯人である与兵衛の、それこそ油まみれのような性格や行動、そんなあれこれがこのタイトルにも込められていて、なるほどな~と思わせます。

圧巻はやはり、与兵衛がお吉をお互いが油で滑りながら殺害するシーンでありましょう。

歌舞伎では、フノリを使って油まみれを表現するようですが、文楽は人形の動きがそれを表現します。

およそ人間では不可能な動きではあるけども、決して不自然ではなく、むしろ、油にまみれた人間はこう動くんじゃないかと思わせるようなリアリティを感じます。

お吉=和生と与兵衛=勘十郎が、それを見事に表現。咲さんの語りと燕三の太棹も聴く者の心にねっとりとした空気を運びこみ、観客自身が油にまみれた錯覚に陥ります。こういうところの語り、咲さんは実に見事ですな、ホンマ。

女殺~、文楽の醍醐味を感じずにはおれませんでした。とにかく、ほとんどのお客がアホみたいにぽか~んと口を開けたまま、舞台に見入っていたわけですから、そのすごさと言ったらもう…。

さて、襲名披露と女殺油地獄上演と話題の春公演でしたが、見終わって感じたのは、やはり「伝統芸能の力」でした。四代続く「文楽の家」での親子同時襲名(竹本源大夫、鶴澤藤蔵)、300年近い昔に描かれた「女殺油地獄」の当時と変わらない「人間の業」のおぞましさ。

『産経新聞』大阪版夕刊4月22日付で、作家の有川浩が「有川浩のオススメ」でこんなことを書いていました。

自粛は被災地の誰も救わない。阪神大震災を経験した私たちはそれを知っている。無事な地域は元気に社会と経済を回すことこそが被災地の支援に繋がる。そしてあらゆるエンターテインメントはその手助けができると私は信じている。

幾多の自然災害や国難の危機を乗り越えてきた「伝統芸能」や「郷土芸能」などには、間違いなく無限の「生きる力」が秘められていると思います。今まさにその出番の時なんではないかと思います。

打ちひしがれかかっている日本に、こうした古来からのエンターテインメントが現地に「生きる力」を与えてくれればと願ってやみません。

(平成23年4月23日 日本橋国立文楽劇場)


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