【上方芸能な日々 文楽】第121回 初春文楽公演*旧ブログ

1月6日は、文楽の初春公演午後の部に行ってきました。
ちょっと入りが寂しかったのですが、舞台上部には二尾の睨み鯛に挟まれた「卯」の文字が。さらに幕間には撒き手拭いありと、正月公演らしいあれやこれやが。

人形浄瑠璃 文楽
平成二十三年初春公演
第二部
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『鶊山姫捨松』(ひばりやまひめすてのまつ)
「中将姫雪責の段」
小学校の遠足で行ったり、二上山の下山などで立ち寄るは、奈良大和路の当麻寺。近鉄南大阪線当麻寺駅前に見える「中将よもぎ餅」の看板が印象深く、昔から中将姫の存在自体は知っていた。そしてそこに継母による暗殺未遂もあったのも、後年、知った。
そうした当麻寺に伝わる伝説を元にしたもの。

雪の中、中将姫を拷問して凍死させようとする継母の岩根御前…。
お目当て、嶋さんが見台ひっつかまえての渾身の語り。
中将姫が死んだと仕組んだのは岩根御前に仕える浮舟と桐の谷。そこに現れた父・藤原豊成の政治的立場の苦悩の中、娘を二人に託さざるを得ない心境…。これらの人々の胸の内を昂り、そして抑えながら語ってゆくのに引き込まれました。ホンマ、嶋さんのこういう場面の語りはすごいですな。何と言うか、心の中にじわ~っと言葉がしみ渡っていく感じがします。「親ぢやもの、子ぢやもの、心の内の悲しさは鉛の針で背筋を断ち切らるゝもかくやらん。…」で、とうとう涙腺が切れたのは、当然の成り行きでした。
人形では、言うまでもなく中将姫の文雀師匠。「あああ、なんとまあ、かわいそうに」と思わせてしまうばかりでなく、中将姫の持つ「気品」をも感じさせる遣いは、なるほど、これが人間国宝、そして文雀師匠の芸なればこそ。

『傾城恋飛脚』(けいせいこいびきゃく)
「新口村の段」
封印切りでおなじみの梅川・忠兵衛のエピソード。
忠兵衛の生まれ故郷・新口村へ逃れてきた二人。梅川の機点で父・孫右衛門と忠兵衛、一瞬の再会と永遠の別れを描く。

「口」では、大夫、三味線は御簾内で。
「前」は、昨秋公演で覚醒したかと評した呂勢大夫が人間国宝・清治師匠とのコンビで。どんな語りを聴かせてくれるかと期待したが、覚醒したが一皮むけるまでにはまだ至ってないと思った次第。ブレーク寸前だ、がんばれ!!
「切場」の綱大夫、清二郎親子は春の公演で揃って襲名を控える。綱大夫は九代目竹本源大夫、清二郎は二代目鶴澤藤蔵。
梅川と忠兵衛の父・孫右衛門のやりとりに、綱さんの真骨頂ありで聞かせどころ。
人形では、孫右衛門の玉女さんが、追われる身であれ息子・忠兵衛と一瞬の再会を果たす姿、そして二人を逃す姿に父親の情を余すところなく伝えて、胸を打ちます。

『小鍛冶』(こかじ)
なんともファンタジーな世界であります。人形劇としての文楽の面白さを堪能できます。
小鍛冶宗近を遣う清十郎さんは、ぴたりとはまる端正さ。以前からもそうでしたが、襲名後さらにたたずまいそのものの端正さも増していると感じます。
老翁~稲荷明神の勘十郎さんは、稲荷明神については左遣いも足遣いも頭巾をかぶらない「出遣い」。普段、顔を見せない左と足が、どんな表情で遣っているかも見えて、面白い。後ろの方の安い席(笑)だったのと、どうもメガネが合わなくなってきたのとで、顔がいまいち自信ないんですが、間違いなければ、左は幸助、足は蓑次でしたかね?
ただ、どうなんでしょう。稲荷明神はあんなに足をバタバタと動かすもんなんでしょうか?浮遊感?としても、何か中途半端さを感じましたが…。

毎回言ってますが、若い人たちに期待してます。毎公演とは言わないまでも、年に2、3人は「お、進化したか?」みたいな人が出てほしいです。もちろん「40歳、50歳は鼻たれ小僧、60歳なって一人前」みたいな世界ですから、そう簡単なことではないですが、「お!」と思わせることができる若い人、見たいです。それが楽しみです。
1月25日には、研修終了発表会があり、今期は二人の研修生が研修の成果を発表します。応援したいですね。


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