【香港撤退のそのワケ】*旧ブログ

慶祝 皇紀2670年

さてさて。
以前、小生が香港に一区切りをつけて帰国した理由を「いずれ」と申しておりましたが、それから結構時間が経過してしまいました。
まあ、その間にも事件があったりしまして、ちょっとPCの前に長居するのも億劫な状況だったのもありますが、その「理由」がそのままでしたので、建国記念日でもありますので(全然関係ない)、ここにご紹介するとしますか。

2年ほど前から、小生が「三叉神経痛」に悩まされているのをご存知の方もいらっしゃるかもわかりません。
この三叉神経痛というのは、ある人いわく、
「人類が経験するもっともひどい痛み」

とされるだけあって、そりゃもう強烈です。
簡単にいえば、
顔面に爆竹が1万発くらい爆発して、同時に電撃ショック100万ボルト、さらに真っ赤になって融ける寸前の火箸を当てられる、

そんな痛みが、時に間断なく、時に瞬間的に襲うという、いや~~~な病気です。
原因はまだ解明されつくしていない部分もありますが、
多くは、三叉神経と近くの血管が接触して、言ってみれば「ショート」を起こし、それがそのまま「電撃ショック」として脳に伝えられる、というパターン。
次に多いのは、三叉神経あるいは近辺の脳神経(たとえば聴神経)にできた腫瘍、ようするに脳腫瘍が三叉神経に接触して、これまた「ショート」を起こす、というパターン。

で、小生の場合は後者のパターン。つまり、聴神経に腫瘍があって、これが三叉神経に少しさわっている、というわけです。
「ならば、腫瘍を取ってしまえばいいじゃないか」
そうなんです。取ってしまえば、その瞬間から痛みの恐怖から解放されるのは、99.9%の確率なのです。

ただ、腫瘍を取ってしまうと新たな「恐怖」が始まります。
まず避けられないのは、聴力の低下。最悪は失聴。さらには並行する顔面神経が傷ついてしまうことによる顔面まひ。さらに嚥下(飲み込み)障害、顔面まひによってまばたきができなくなることによる眼球の損傷などなど。

こういう術後の「QOL(生活の質)」の著しい低下を考慮すると、腫瘍が増大傾向を見せないのなら、あえて外科手術はしない、というのが今の治療方針です。
ただし、三叉神経痛の痛みが薬でコントロールできなくなった場合は、その範疇になく、積極的な摘出を行う、という方針。

で、三叉神経痛をどんな薬でコントロールしておるかというと、てんかんの薬「テグレトール」というので痛みを抑えます。
最初は1錠でてきめんに効きました。気絶しそうな痛みがあっという間に消えました。
しかし、人間の体ってすごいもんです。だんだん「耐性」ができていき、いまでは4錠/日でも、痛みを完全に消すことが困難になりつつあります。

また、副作用も強敵です。体調にもよるのですが、左右の目の焦点が交錯して酔っ払いのようになったり、平衡感覚が低下してまっすぐ歩けなくなったり、世の中の音が1オクターブ下がって聞こえたり、口がからからに乾く、異常なまでの倦怠感…と、日常生活に大変な支障が生じます。
もう、ぶっちゃけた話、生きるのが精いっぱい、みたいな状態になってしまいます。

それでも、聴力が生かされていて、なんとかギリギリセーフの状態で痛みも抑えられているので、いまだ手術をしなくて済んでいるというわけです。
そしてそして、厄介なことに、この「聴神経腫瘍」、実は「左右両側」に確認されているのですのよ。
これは偶発的に起きた脳腫瘍ではなく、染色体異常による
「神経線維腫症2型=NF2」

という国の特定疾患、すなわち難病なのですよ。
NF2については厚生労働省の下記のページに詳しく書かれています。
http://www.nanbyou.or.jp/sikkan/051_i.htm

まあ一言でいえば、腹をくくらねばならない病気ですね。
一生、脳腫瘍(ほぼ良性です)ができ続け、つきあってゆかねばならないわけですから。

いまのところ、小生には左右の聴神経腫瘍以外は認められていませんが、体内のどかでその萌芽があるかもわかりません。もう、それはその症状が出たときに診断を受けるしか、手段はありません。
で、帰国した最大の理由は、
「三叉神経痛の痛みを抑える薬の副作用」が強まったからです。

両側聴神経腫瘍そのもは右側に若干の耳鳴りと聴力低下があるものの、電話も聞けるし、2003年5月に発覚以降、いまのところ増大もしてないし、日常には何の支障もありません。
三叉神経痛は、たまに痛みが継続しますが、無痛時との繰り返しで、薬でなんとかだましてゆけるでしょう、もうしばらくは。
ただし。薬の副作用はいかんともなりません。ふらつきがひどい時には杖が必要です。家の中で何度も転倒しました。外を歩いていても反射神経がにぶって、車に当てられそうになったこともあります。薬が効きすぎて、ほとんど気を失ったんじゃないかというくらい睡眠を続けたこともあります。
正直、そういう状態で海外で一人で生活するのは危険だと。
海外からの撤収理由でありがちな「金がない」とか「仕事がうまく回転しない」なんてのは、やってるうちになんとかなるものですが、身体はそういうわけにはゆきません。
そんなわけで帰国を選択しました。

とりあえず、帰国後も一人暮らしはしているわけですが、いざというときを託している病院も30分圏内、実家も徒歩圏内。弟も車で20分ほどですから、本当に、いざ、というときを考えれば、安心です。
まあねえ、良性腫瘍ですから「いざ」という事態は起きないのですがね。そこは気持ちの部分ですね。
現在も激痛の日と無痛の日が何日かごとに繰り返しています。
適宜、薬の量を自分で調整したりして、できるだけ副作用の起きないようにはしていますが、居間からトイレに行くのにも、真っすぐ歩けない日もあります。
「あ~あ」って溜息出ますね、まじで。

ま、小生なんぞは、NF2の中では極めて軽症の類ですから、なんだかんだ文句言いながらも安穏と暮らしてますが、重症の人も少なくありません。
とくに若い時から発症した場合は、腫瘍の数も多く、それゆえに様々な障害を負うことになります。
聴力はもちろん、視力も言語も自分で動く力も失ってしまうことも珍しくはありません。それでも腫瘍はでき続けます。それでもぼくらは命の限り生き続けます。
NF2とは、そんな病気です。

いまのところ、発見された腫瘍を摘出あるいは放射線で成長を抑えるなどの「対症療法」しか、治療の手立てはありません。さらに腫瘍の成長速度、数、神経症状は1万人いれば1万通りというわけで、「あの人がああだったから私も」などというのは、まず、当てはまりません。それゆえに患者の不安は計り知れません…。
なんか重い話になってしまいましたが、
そういう病気があって、3万人~4万人に一人が症状は様々なれど、苦しんでいるということを知っていただければ、それだけでも「帰国の理由」をアップした意味があったと思います。
Nf2という難病があることを知っていただけただけでも、よかったと思います。

重たい話に付き合わせてしまってすみません。
ちょっとためらったのですが、どうしてもNF2について、より多くの方に知ってもらいたくって…。

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COMMENT:
AUTHOR: アムゼルくん
DATE: 02/11/2010 17:48:42
レスリーさんのご病気がそれほどのものとは想いもかけませんでした。ひょっとすると香港の風水が御身体に悪影響を与えていたのかもしれませんし、とすれば帰国なさったことで好転するかもしれませんね。
あるいは例のポルターガイストの影響であったかもしれません。そちらの方面の方に相談されてもいいかもしれませんよ。この吾らの住む世界とは近代科学やその一部である西洋医学だけでは解決できない問題が多すぎるのですから。
いずれにせよお大事になさってくださいね、としか言えません。
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COMMENT:
AUTHOR: leslieyoshi
DATE: 02/11/2010 21:57:59
To アムゼルくんさん
ありがとうございます。
こればかりは運を天に任せるしかありません。
こうしているうちにも、脳神経外科は着実にレベルが向上しています。
技術の向上に期待、というところです。
風水関係については、思い当たる節がないこともありません…。
気にしだすとキリもなく。その「思い当たる節」もおっしゃる通り、帰国したことで、断ち切れたんじゃないかとは思っています。
生活制限のない病気ですので、普通に飲み食い喫煙できるので、ストレスはたまりません、その点は気楽です。
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COMMENT:
AUTHOR: damedakorea
DATE: 02/14/2010 15:34:01
こんにちは!
帰国なさっていたのですね。
病と付き合って生活するにはやはり日本のほうが安心ですね。
私は酷い頭痛持ちなのですが、もっと酷いんでしょうね~
とにかく体が一番ですから。
無理せず、お大事にして下さいね。
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COMMENT:
AUTHOR: leslieyoshi
DATE: 02/15/2010 00:04:32
To damedakoreaさん
ありがとうございます。
何といっても、先の長い話になりますから。
元来が無理したりがんばったりしない人間ですから、その点は大丈夫です(笑)。


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