昭和52年秋の野村解任以降、一度もAクラスになれなかった南海が、ダイエーに売却され、福岡に渡ったのが平成元年のシーズン。
それからも長らく低迷が続き、
「俺、生きてるうちにこのチームの優勝を見れるかな?」
なんて思ったりも。
南海ホークスにとっての最終秘密兵器ともいえる監督が、杉浦監督であったように、福岡ダイエーホークスにとっての最終秘密兵器が、王監督だった。
その「世界の王」をしても、なかなか最下位球団は勝てずに、ついには、日生球場で「世界の王」は卵を投げつけられるという屈辱を味わうことに…。卵を投げた連中の気持ちも、十分すぎるくらい理解できたけどね。
そんな負け犬集団が、98年にはなんか様子が変わり、99年にはリーグ優勝、そして日本一に。03年にも阪神を下して日本一に。
戦力補強に大金を使ったダイエー球団の力もありますが、やはり王貞治という人の真摯な野球への姿勢が全選手に浸透した結果であります。
今年は、復刻ユニフォーム企画で、かつて日本シリーズで何度も戦った宿敵・南海ホークスのユニフォームも着て、「なかなかいいねぇ」とご満悦だった王監督。
南海時代からの、巨人V9時代からのホークスファンとしては、複雑で不思議な思いと時代が変わったという思いが交錯しました。
ノムさんのコメントが、古参南海ファンの思いでもあります。
■楽天・野村克也監督の話
「王、長嶋といえば何十年とプロ野球を支えてきた両雄。ユニホームを脱ぐのはさみしいし、球界にとって大きな損失だ。彼はわたしの値打ちを半減させた男。 彼がいなければ、わたしが(通算本塁打や打点で)一番だった。(辞めるのは)健康上の理由かな。この前に会ったときも『健康第一』と話したばかりだった」
もし、王貞治という人がいなければ、南海はあと2,3回は日本一になっていたかもわかりません。が、いまのプロ野球はなかったかもわかりません。
南海ファンも阪急ファンも西鉄ファンも阪神ファンも、「ON」にあこがれて育ったわれわれ世代ですから、大きな時代の区切りを感じます。
願わくば、最後のシーズン、日本一の胴上げで締めくくってもらいたかったが、それはどうやらかなわぬことになりそう。
終わり、とは、えてしてこういうものだなと。
「南海」のユニフォームを着たあなたと、「大阪球場(京セラドーム)」で同じ時間を過ごせたこと、「南海ホークスファン」として、予想外の思い出ではあった。
ほな、さいなら…。
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。