軽やかに三盗を決める広瀬。ユニフォームから野村監督時代とわかる。なんで三盗とわかるかって? ベースの位置や野手の位置からもわかるけど、ロッテの人、有藤やし(笑) ©サンケイスポーツ
いやもう…。
寂しいな…。広瀬叔功外野手が亡くなった…。
南海ホークスの黄金期を牽引した人。
小生が幼いころは、南海ホークスの一番バッターと言えば広瀬だった。「一番、センター、広瀬。背番号12」。永遠にそうだと思っていた。「四番、キャッチャー、野村、背番号19」同様に。昭和43年シーズン途中にドラゴンズから移籍してきた島野が台頭し、すっかりその座を明け渡してしまった昭和48年は、もっぱら代打での出場となっていた。まあそのあたりは、例のおばはんの存在が、盟友で監督だった野村克也との関係をぎくしゃくさせてしまったのが原因でもあったけど、子供の目に見ても、広瀬と島野なら島野やよな、って感じで、衰えも目立ち始めていた。
その年、昭和48年。シーズン中の本塁打ゼロ。前後期2シーズン制最初の年のプレーオフ第5戦。相手は当時、難攻不落の阪急ブレーブス。ここまで2勝2敗。勝った方が日本シリーズ出場。山田、山内両エースの投げ合いでまったく点が入る気配がない。そんな中、9回表。南海は二死からスミスが右越ソロ。続く広瀬も左越ソロを放ち2点を先行。阪急はその裏に当銀のソロ本塁打で1点を返すも、反撃はそこまで。めでたく南海が2シーズン制最初の年を制覇した。前述の通り、シーズン中は本塁打ゼロの広瀬が、優勝を決める一発を放つってのが、「やっぱり広瀬は南海の大看板!」と言うもんで。
「南海嫌いの阪神ファン」の父も、ごくたま~~に大阪球場に行ったら「そんな相羽なんかやなしに、広瀬使えーー! 大黒柱使わんとはどういうことや! おい野村!」って激オコだったのを思い出す(笑)。相羽もエエ選手よ(笑)。
通算600盗塁目前の昭和50年のシーズン。折しも、野村の600本塁打も目前と言うことで、球団は「600ダブルクイズ」という企画を打ち立て、ファンに両雄の達成日を予想させた。それなりの応募数はあったと思うが、達成したのは野村だけで、広瀬の600盗塁は翌年以降にお預けとなった。ただ、出場機会がぐっと減ってしまっていた広瀬の金字塔は打ち立てられることなく、昭和52年のシーズンを思って引退となった。そして「野村追放」からの監督就任となるのだが、ここから茨の道が始まる…。
まあ、普通に考えて、「監督・4番・捕手」の野村が抜け、その頭脳のブレイザー、高畠、リリーフエースの江夏、未来の4番バッターとして期待された柏原も抜け…。となると、チーム力は半減どころのハナシではないわな。当時所属の某選手の話によれば、野村は退団時に、それまで蓄積された資料やデータもすべて廃棄したというから球団への怨念は凄まじい。そんな中で監督を引き受けるた広瀬は、とんだ貧乏くじを引いてしまったというか、引かざるを得なかったというか…。気の毒な話やなぁと、当時中学2年生だった小生は思ったものだ。
時は流れ、平成の時代。平成25年(2013)。パ・リーグ6球団は、球団の歴史を彩った懐かしいユニフォームで試合をし、「レジェンド」を迎えて、試合前に始球式などのイベントに出てもらうなど、「レジェンド・シリーズ2013」を開催した。この3連戦を福岡で観戦した。初日にはホークス球団75周年にあわせておこなわれていた「LEGEND HAWKS 歴代ベストナイン」の投票結果が発表された。

杉浦、野村、桜井、藤原、佐々木、広瀬、門田と、小生が大阪球場で声援を送った選手が、21世紀に選出されているのがとても嬉しかった。もちろん広瀬も選出されて、球場に元気な姿を見せてくれた。福岡のファンがどれほど感激したかはわからんけど(多分、感激してない)、小生はめっさ嬉しかったねぇ。

その翌年。広瀬がベースボールマガジン社から本を出すという。『南海ホ-クスナンバ栄光と哀しみの故郷』。色々と書き残してきいことがあったのだろう。そして出版記念に南海高野線三国ケ丘駅構内にあった天牛書店でサイン会&握手会を開くという。そりゃ行きますわな、南海ファンなら。当日は、昔からの知った顔が行列を作っていた。なんかおかしかった(笑)。
子供の頃、大阪球場前には、野村のリンカーン・コンチネンタル、広瀬のフォード・マスタングが駐車されていた。今から考えたら不用意な話だが、昔はいたずらする奴もいないから、それが普通だった。スポーティーな雰囲気のあるマスタングがかっこよかったのを思い出す。試合後、車に向かう野村や広瀬によくサインをねだった小学生時代。そんなようけサインもらってどうすねん、ってところだが、子供はそれがいいのだよ。

まあそんな時代以来かな、「広瀬さん、こんにちわ」って挨拶したのは。本に書かれてあることで、色々と質問したいこともあったんだが、なんせ行列である。ツーショット写してもらうんが関の山である。結局、これが小生にとっては広瀬さんとの最後になってしまったなぁ…。ほんと、本に書かれていないことなど、聞きたいことが山ほどあったのにねぇ…。
これで初代「南海の三悪人(杉浦、野村、広瀬)」は全員、あの世の人となってしまった。二代目「南海の三悪人(江本、門田、江夏)」も、門田があちらへ旅立っている。言うてる小生も還暦を過ぎた。
時の流れは残酷だな…。
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在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。
